2017年10月28日(土) |
男の美学について |
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酒に睡眠薬を混ぜて眠らせ、抵抗できない状態にして伊藤詩織さんをレイプしたということで告発されている山口敬之は、「あなたは性犯罪被害者ではない」と今回の事件に関して月刊Hanadaで反論しているらしい。オレはその文章をまだ読んでいないのだが、今回の件で思うことがある。それは男の美学についてである。
男は自分のしたことについて全責任を負うべきだ。Hした後で、女が「合意じゃなかった」「無理矢理にされた」と訴える場合というのは、たいてい男に責任がある。そのときは男は潔く自らの過ちを認めるべきである。変な言い訳をしてはならないのだ。そして絶対に「いやがってる女とはしてはいけない」ということも肝に銘じてもらいたい。自分と本当に結ばれたいと思ってる相手とだけHをしてもよいのである。
自分が交際している女性の親が文句を言ってきたとする。そのときに「いや、お嬢さんの方が積極的でしたよ」と言い訳する男はクズである。「申し訳ありません、私がむりに付き合ってくださいと頼んだのです。お嬢さんは何も間違ったことはしていません」「どうぞぼくを気の済むまで殴ってください」と言うべきである。そうして女性をかばうのが男のとるべき行動ではないのか。
男たるもの、自分との性行為を望んでいない相手と絶対にHしてはならないのである。してもいいのは、相手が真に自分のことを愛していて、自分との行為に幸福感を感じてくれる時だけだ。それ以外の場合にはHしてはならないのである。権力を利用してとか、立場を利用してとか、金を払ってというのは実に恥ずかしい行為である。
伊藤詩織さんは美女である。その美女とHするために酒に睡眠薬をまぜて眠らせたという山口敬之の行為は、女を酒に酔わせてHに持ち込もうと思ってるゲスな男たちからみればごく普通の行為なのだろう。しかし、オレのように正々堂々と恋愛関係にある相手としかHすべきじゃないという哲学の持ち主から見れば断じて許しがたい犯罪行為である。もともと価値観の立脚点が違うのだ。今回の事件を「ハニートラップだ」などと騒いでるのは前者のゲス男たちである。オレのような哲学を持ってるまっとうな男なら山口敬之の行為を「外道だな」と吐き捨てるだけである。
女が後から「あんな男と付き合うんじゃなかった」と思うような恋愛を男はしてはいけない。「あの人と付き合ってとても幸せだった」と思われないといけない。そして子どもができるようなことをすれば全身全霊でその結果を受け止めなければならない。自分が作った子どもの将来に渡って全責任を負うだけの覚悟がないなら、妊娠する可能性のある行為、つまり「避妊しないで行う性行為」をしてはならないのである。
山口敬之は睡眠薬で眠らせた詩織さんをレイプしたときに避妊していなかった。詩織さんはもちろんこの腐れ外道との性行為に同意してないわけだが、性行為に同意していないのにどうして避妊しないSEXに同意できるだろうか.仮に百歩譲って性行為に同意したとしても、だからといって避妊せずに行為に及ぶことが男としてどれだけの責任を求められることなのか、この山口敬之というクズ野郎はわかってるのか。それは「妊娠しなかったからOK」という程度のものではないのである。
山口敬之はどうすればよかったのか。潔く自らの犯罪行為を認め、賠償するという形で償うべきだったのだ。刑事告発されてからお友達のルートを使ってもみ消そうなんて卑怯なことをせずに、詩織さんが許すまで土下座してお詫びすべきだったのだ。雨の中でスーツを泥まみれにして、詩織さんの要求する金額の賠償に応じて、ただひたすら「私が間違ってました」と罪を認めて謝罪すべきだったのである。それが男の責任の取り方である。女から訴えられたときに言い訳をする男は最低だ。抱いた女に恨まれるのは男の不徳である。その場合は100%自分が悪いということを潔く認めるべきである。
これがオレの思う男の美学である。どうか時代錯誤と笑ってくれ。
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