2017年10月17日(火) |
恋愛にルールはない |
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映画の宣伝動画を見ていて心に残ったセリフがあった。それは「この世に好きになってはいけない人なんていない」というフレーズである。広瀬すずが主演の「先生、好きになってもいいですか」という映画だ。同じ原作者の「俺物語」という作品はものすごく面白かったから、ちょっと興味を持っている。それにオレは基本的に学園モノの作品は好きである。
恋愛とは不道徳なものだと思う。誰かを好きになってしまうのは交通事故みたいなもので、それは意図して行う行為ではなくて気がついたらもう心を支配されているというものだとオレは思っている。そしていつかは醒める。それもまた事実なのだ。ただその嵐に翻弄されているような瞬間は当事者は基本的に幸福の絶頂でいることが多いのである。そしてそんな気分になりやすい人とそうでない人がいる。いわゆる「恋愛体質」というものである。
ただ恐ろしいのは、その恋愛が可能性の全くない場合、つまりストーカーのようなヤツが一方的に片想いして、最後は凶行に及ぶようなものである。そのようなのは恋愛ではなくて一種の「精神病」であるとオレは思ってるのだが、その境界線はいったいどこに引けるのだろうかということなのだ。
「別れるくらいならおまえを殺してオレも死ぬ」
という形で交際相手を殺してしまうような事件が発生するとオレは思うのだが、その一方的な気持ちは果たしてどういう種類のものだったのだろうか。どうすればその悲劇を食い止めることができたのだろうか。冷静にならせることは不可能だったのだろうかと。
全部の恋愛の中で、お互いがきちんと相手を理解して幸福な関係を築けてる理想的な恋愛の比率はどれくらいだろうか。付き合ってるために却って不幸になるような関係はどれくらいなんだろうか。これは統計の取りようがないのでわからないのだが、結婚した男女の半分近くが離婚してしまう現代では、幸せな恋愛というのはむしろ少数派になってるのじゃないかとさえオレには思えるのである。
そうなると、新幹線の中でむじゃきに手をつないで寝てしまうカップルが、少なくとも理想的な恋愛関係を築けていることは間違いないわけで、それを「おまえらやってることは不倫だからダメだ!」と世間のルールで裁くことは本当に正しいのかとも思うのである。もしも彼らが中学生だったら何の問題もなかったのである。最初の定義に戻るが、「この世に好きになっていけない人などない」のであって、国会議員だからとか、配偶者がいる人だからとか、そういう世間的な理由は盲目的な恋愛感情の前にはなんの意味もないということになってしまうのである。
「教師と生徒は恋愛してはいけない」
というルールを大上段に振りかざして生徒との恋愛事件を起こした先生を激しく非難する人間の心の中に、そのモテる先生に対する嫉妬心が1%もないかというとそんなことはないと思うのである。美少女と恋愛関係になってしまったイケメンの先生を「教師にあるまじき行動」と非難する側はたいていイケメンや美少女ではなくてふつうのオッサンオバハンである。
まあそんなことを無責任にオレがこうして語れるのは今のオレが男子校という場所にいるからであって、もしも共学の学校にいてこんな発言をすれば親から囂々たる非難を浴びたことは間違いないのである。
ただ、やっぱりオレは思うのだ。恋愛感情というのはコントロールできるものではない。そして時にはその人自身を崩壊させる恐ろしいものである。認知症になった自分が将来暴走してとんでもないことにならないかと心配してしまう。今からそんな心配をしても意味のないことなんだが。
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