アメリカで新規の原発建設ができなくなった理由は単純である。銀行がそういうリスクのあるものに対して融資しなくなったからである。原発を新規に作るという事業が、投資額をきちっと回収できるような有望な事業ではないと銀行が考えるようになったのである。しごくまっとうなことである。ひとたび事故が起きればその補償額が無限大というものに対してどうしてゼニが出せるかということである。
それはアメリカだけではなくてヨーロッパでもイギリスでもそうである。だからイギリスで原発を新規に作るとなると、得体の知れない中国製ということになってしまうのである。日本の企業がその中国製の原発の安全性にケチを付ける資格があるとは思えないのだが、なぜか日立がイギリスで新規の原発建設を受注した。これは中国とのバランスを取りたかったのだろう。
ところがイギリスの銀行は新規の原発建設にゼニを融資したくない。事故の時のリスクが大きすぎて計量不能だからである。融資が下りないと建設ができない。そこでなんと日本政府が融資を保証することで、日立という一企業に便宜をはかることにしたというニュースを聞いてオレは仰天した。ふざけるなよ、なんでイギリスの原発事故を日本人が払った税金で補償してやらないといけないんだ。なんでそんな馬鹿な契約をしてしまうのか。オレはこの問題こそきちっと国会で追及しないといけないと思ったのである。
福島原発の事故の被害はあまりにも大きすぎて、東京電力という一企業では背負いきれないから政府がかなりゼニを出すことになったのである。何十兆円かかって、何十年かかるのは全くわからないし、もしかしたら永遠に事故処理は終わらないかも知れないのである。それなのに「政府が融資保証」なのである。国民はもっと怒らないといけないのである。「ふざけるな!」と言わないといけない。
日本政府はこれほどの大事故を経験したのにそこから何も学んでないのである。原発事故から何も学べないで、いつまでも撤退できないでいるいまの惨状は太平洋戦争の末期と同じである。このまま進んで行くととんでもないことになるということがわかっていながら、積極的にそれを阻止することもなく、誰も責任を取らずに多くの国民を犠牲にしたというあの歴史から何も学ぶことなく、原発という問題で全く同じ失敗を繰り返そうとしているのである。
いまもしも原発の是非について国民投票を行えば、必ず「撤退」が「再稼働」を上回るだろう。そんな世論に背を向けてさらに新規で大間原発を建設しようとしているその愚かさをどうやって阻止すればいいのか。何のメリットもないのにリスクだけ背負い込まされる函館市民の怒りはどこに向かうべきなのか。もしも原発にミサイルを撃ち込まれたら大変なことになるのに島根を軽視する馬鹿議員がいるのはどういうことなのか。
日立がイギリスで受注した原発がもしも事故を起こせば、その巨額の補償金はとうてい一企業に払えるものではないから破産するだろう。融資したゼニを回収できなかった銀行は、融資を保証している日本政府に対して一括での弁済を要求するだろう。その額が100兆とか200兆だったらどうするのか。企業と違って国は破産できないのである。日本国債をデフォルトさせるという裏技もあるにはあるが、そんなことをすると日本国は国際社会でやっていけなくなる。
日立とか東芝とか、こういったかつての日本の高度成長を支えた大企業のトップが、原発というものの非採算性や非合理性についてきちっと理解していればもっと違った結果になっただろう。中途半端にやりかけたものであっても、勇気を持ってやめることが最良の選択であることは太平洋戦争が如実に物語っている。原発の新規建設という愚行は、8月15日で終戦せずに本土決戦に持ち込むような愚行であると誰かちゃんと頭の固い連中にわからせてくれよ。
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