2017年04月21日(金) |
八つ橋の耳はどこへ消えた? |
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その昔、貧乏学生だったオレの京都での学生生活は、どうすれば食費を抑えられるか苦心する日々だった。肉などはめったに喰えない。カレーを作ってもいつも肉無しカレーである。食欲は人一倍あったので実家に帰ったときに強奪した大量の米を主食にして、たまに大学生協で一番安い米を買った。確か当時の値段で2キロで500円くらいだったと思う。
野菜と言えばいつももやし。もやしが一番安くて一袋30円くらいだったからよくもやしをメインにした「野菜炒め」を作った。他の材料と言えばタマネギとピーマンくらいで、もちろんそこには「肉」はなかったのである。
そんな貧乏な食生活を送っていたオレはある日、有名な八つ橋店の片隅に置かれていたビニール袋入りの生八つ橋の残骸みたいなものを発見した。
「おっ!これはなんだろうか?」
八つ橋の皮は正方形の形をしている。その形に皮をカットした時にできる切れ端というか耳の部分を集めて袋に詰めて1キロ100円くらいで売っていたのである。
オレは「生八つ橋」が好きだ。京都の和菓子はたいてい好きだが、その中でも「生八つ橋」は別格だ。その「生八つ橋」が、切れ端とはいえものすごく安く買えるのである。オレは迷わずそれを購入した。
アパートに持ち帰って、熱いお茶を入れてその皮を食べたのだが、けっこうお腹がふくれるのである。これはおやつではなくて主食に代用可能だ。小腹が空いた時のおやつとしてもいいが、メインの一品でも全然問題ない。
そういうわけでオレは「八つ橋の耳」をよく買って食べるようになったのである。オレは大学生の間ずっとその貴重な食品を食べ続けていた。ただ、卒業して大阪で就職してからは疎遠となった。あれから30年以上の月日が流れた。
最近京都を何度か歩いたのだが、清水寺の参道に並んでる八つ橋店のどこにも「八つ橋の耳」なんかは売られてなかった。そういうものは土産物としてではなくて、もっと別の店にマニアックに置かれてるのだろうか。それとももう京都人は「八つ橋の耳」なんか食べないのだろうか。
あるいは八つ橋を製造する機械が進歩して、無駄な「生八つ橋」が一切出ないように工夫されてるのだろうか。それで最初から耳なんか存在しないのだろうか。オレはその謎が知りたいのである。もしかしたらもうそんな貧乏くさい食材は人間が食べるものではなくて、家畜の餌となって豚や鶏が食べてるのだろうか。そんなことはオレは断じて許せないのである。あんなおいしいものを家畜に与えるとは言語道断である。オレが食べるからオレに譲って欲しいのである。
八つ橋の耳はいったいどこに消えたのだろうか。それともオレが知らないだけで今でも京都のどこかでちゃんと売られてるのだろうか。売られてるとしたらいったいどれくらいの値段なんだろうか。
昔のオレが買っていたのはそれがとてつもなく安かったからである。もしも高かったらなんの意味もないのである。もしもあのものすごく安い「八つ橋の耳」が今でも存在するのなら、オレは絶対に買うのである。間違いなく手に入れるのである。
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