2017年03月24日(金) |
日本政府は南スーダンの人を見捨てました |
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「ホテルルワンダ」という映画がある。かつてルワンダで起きた大虐殺の事実について描かれた作品である。その映画の中でPKO部隊が撤収する場面が出てくる。そこで起きている虐殺事件に対して世界は無関心で、誰も危険に直面している人たちを救ってくれなかったことが冷ややかに描かれる。それと同じことが今南スーダンで起きていて、政府軍兵士や反政府勢力のゲリラによる民衆への略奪、強姦、虐殺が日常的に発生しているのに世界はそれに対して有効な手を下さず、国会では「自衛隊員の血を流すな」という自国中心主義の論理が展開されている。いつから日本人は「義」の心を忘れてしまったのだろうか。
ゼニのためでもなく、名誉のためでもなく、ただ「正義」のためにそこで起きている虐殺を阻止するという大義で自衛隊は活動できないのか。オレはそんなことを思うのである。防衛大臣は堂々とそれを語って欲しかったのである。「戦闘地域ではありません」という建前論に終始しているこの論戦にオレはあきれていた。
第二次大戦が終わった後も、世界では虐殺の歴史が延々と続いた。チベットでは中国の人民解放軍の侵略によって数百万の人が殺された。チェチェン紛争ではロシア軍が住民を大量に虐殺した。ユーゴ内戦では「民族浄化」と呼ばれる組織的なレイプが行われた。歴史はいつまでも同じことを繰り返ししているのだ。その愚かな歴史を二度と繰り返さないというのが日本国憲法の精神であり、日本という国が世界の中で果たす役割ではないのかとオレは思うのである。
世界中の国が南スーダンの民衆を見捨てて撤退しても、自衛隊は部隊を増強してその土地に治安を取り戻すべく活動すべきではなかったのか。日本から大量の兵員を送り込んで
我々は正義の軍隊である」と世界にアピールすべきではなかったのか。「ルワンダのような悲劇を繰り返してはならないのです。どうして世界はこの土地にいる人を見捨てるのですか?」と訴えるべきだったのだ。
「こんな危険なところでは隊員の安全が守れないから活動できない」
それが真に正しい判断なのか。いつから日本人は武士道精神を失ってしまったのか。どうしてこんな情けない卑怯な国に成り下がってしまったのか。オレは悲しく思うのである。オレが防衛大臣だったなら、今こそ日本が平和を愛する国家であることを世界にアピールするチャンスだと主張するだろう。そして大幅に部隊を増強して、数万の兵力で南スーダン全土に治安を取り戻すことを目標にするだろう。必要ならば政府軍や反政府ゲリラとの戦闘も辞さず、ならず者どもを一掃してそこに真の平和を確立するために尽力させるだろう。もちろん指揮官として現地に乗り込んで。
もちろんそうなると「海外派兵ハンタイ」とかデモを行う馬鹿サヨクの連中が国会前に集まるだろろうし、自衛隊員の中にも任務を拒否する者も出てくるだろう。しかし、「正義を貫く」というのは正しいことであるとオレは思っている。
紛争地域での治安というのは「圧倒的な武力」なしには成立しない。「派兵しました」という単なるアリバイ作りのために派兵してるような現状では世界に対して何のアピールもしていないのと同じことである。
アメリカが世界の警察の看板を下ろしてしまい。中国やロシアが帝国主義国家として復活した今、世界「正義の軍隊」として戦えるだけの戦力を持てる国は日本以外にどこがあるだろうか。
日本の誇るハイテク技術で自衛隊の戦力を高め、「正義の軍隊」として紛争地域に派遣することで国際貢献することが、日本の国際的な地位を高めるとともに真の平和国家として世界に貢献できることであるとオレは信じている。それが今はただの夢物語にすぎないとしても。
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