2016年12月13日(火) |
責任を問われない人たち |
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認知症の老人が線路に入り込んで事故死した場合、鉄道会社側はその列車遅延などの損害賠償を請求できるかという訴訟があり、結局家族の監督義務や責任は問われずに鉄道会社への賠償金は認められないという判決が下った。これはつまり、認知症の人が事件を起こしたとしてもその家族の負う監督責任というのは限定的だということになるわけで、最近よく発生してる認知症ドライバーによる交通事故に関しても「そんな状態でどうして運転を認めたのか?」という責任は追及しにくくなったのである。
それでは知的障害者の場合はどうなのか。以前に八尾市で知的障害の男性が子どもを歩道橋から投げ落とすという事件があり、その男性は懲役刑を受けたのだが出所してきてまた人にケガをさせる事件を起こしている。責任能力云々がまたしても問われ、支援者たちに与えた衝撃も大きかったわけだが、常に「自分よりも弱いもの、小さいもの」をターゲットにしているわけで、十分に責任能力は問えるとオレは思っている。もしもその加害の対象が自分の身内に及んだ場合はオレは決して許さないだろうし、極刑を望むだろう。
JR新今宮駅のホームで無差別に人をホームに突き落とそうとした人がいて、殺人未遂容疑で逮捕された。女性ばかりを狙って突き落とそうとした卑怯な犯行でありながら、容疑者は「触ったら落ちた。殺す気なんかなかった」と供述しているという。記事を引用しよう。
大阪・浪速区のJR新今宮駅のホームで女性2人が男に背中を押され、このうち1人が線路に転落した事件で、警察は大津市の28歳の男を、殺人未遂の疑いで逮捕しました。警察によりますと、男は、「女性に触ったら線路に落ちたが殺そうとしていない」などと供述しているということです。
逮捕されたのは、大津市に住む朝鮮籍で無職の中川晃大、本名裴晃大容疑者(28歳)です。警察によりますと裴容疑者は11日午後5時すぎ大阪・浪速区のJR新今宮駅のホームで電車を待っていた18歳の女子高校生と63歳の女性の体を押しこのうち63歳の女性を線路に転落させたとして殺人未遂の疑いが持たれています。
女性が転落した直後、この駅に停車する快速電車が来ましたが、非常ブレーキをかけておよそ5メートル手前で緊急停止したため女性にけがはありませんでした。
警察が防犯カメラの映像を分析するなどした結果、家出をしたとして家族から捜索願いが出ていた裴容疑者がかかわった疑いがあることがわかったということです。裴容疑者は11日の夜遅く、愛知県内で無銭飲食をして警察に保護されていました。
警察によりますと、調べに対し、「女子高生には触っていない。女性には力を込めて触ったら線路に落ちたが、殺そうとはしていない」などと供述しているということです。警察が、事件の詳しいいきさつを調べています。 (NHKニュース)
さて、この突き落とし事件の容疑者は知的障害があるということだが、少なくとも「逮捕されると思って逃げた」ということだから悪いことをしているという認識は十分にあったのである。オレはこの事件に関しては、障害の有無などは全く問題にする必要はなく、通常の「殺人未遂事件」同様に扱うべきだと考える。また、連続して4人を突き落とそうとしたわけで、これは「不特定多数の市民への無差別加害行為」と認定できるから俺が日頃主張する「市民に対するテロ罪」の適用対象でかまなわないと思うのである。
もしも今回の事件で「障害者」であることを理由に無罪になるとか、極端に軽い判決が出れば、それはむしろマイナスだ。きちっと公平に罰を与えることが必要なのである。そうでないと全く無関係の外国人や障害者がいわれのない差別を受けることにつながってしまうからだ。
認知症ドライバーの暴走による事故死、そしてこのように知的障害者や精神障害者による加害行為の結果による事故死が頻繁に起きている。社会はその事実に対してどのように向き合うべきなのか。なぜ認知症なのに運転しないといけないのか。加害行為の背景には何があるのか。
オレは複雑な思いで今回の突き落とし事件のことを考える。容疑者は母親から捜索願いが出されていたという。このような障害を、その親にすべての責任を負わせてしまうこともまた間違ってるとオレは思うのだ。どうすることが必要だったのだろうか。なかなか答えが出ないのである。
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