2016年09月12日(月) |
認知症の徘徊にどこまで対処すればいいのか? |
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以前に認知症の男性が線路に入り込んで列車にはねられた事故で、鉄道会社が家族に監督責任があるとして賠償を請求した訴訟があった。この訴訟では結局家族には賠償責任はないということになったが、どこか割り切れないものが残ったのもまた事実である。認知症の男性が高速道路を逆走したりして起こした事故も責任が問えないのだろうか。仮に家族が認知症を知っていて放置した場合はどうなるのだろうか。オレはまだ全然問題ない母親から運転を取り上げ免許を返納させた。もしも事故を起こしたら・・・と思うと心配だったからである。
認知症の女性が勝手に抜け出して徘徊し屋外で死亡していた時、施設は管理責任があるのだろうか。逃げ出さない様に鎖で縛り付けないといけないのか。毎日新聞の次の記事を読んでオレは複雑な気分になった。
<認知症>徘徊し女性死亡 通所先施設に賠償命令 福岡地裁
毎日新聞 9月9日(金)22時59分配信
徘徊(はいかい)癖があった認知症の女性(当時76歳)が通所先のデイサービスセンターから抜け出し、そのまま死亡したのは施設側の責任として、女性の夫ら遺族3人が施設を運営する社会福祉法人「新宮偕同(かいどう)園」(福岡県新宮町)を相手取って計約2964万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、福岡地裁(平田直人裁判長)は9日、施設側の過失を認めて計約2870万円の支払いを命じた。
判決によると、女性は2012年11月にアルツハイマー型認知症と診断され、13年12月から施設に通い始めた。14年1月23日昼ごろ、施設非常口から抜け出し、3日後に施設から約1.5キロ離れた畑で死亡した状態で見つかった。司法解剖で死因は凍死と判明した。
平田裁判長は「施設職員は女性に徘徊癖があることを認識しており、見守る義務があるのに違反した。施設は職員を指導監督するべきだった」と指摘。施設側の「抜け出しても死亡までは予見できない」との主張を退け、「徘徊すれば独力で帰ることはできず、低体温症で死亡することは十分あり得る。義務違反と死亡に因果関係がある」と結論づけた。【吉住遊】
この事件で裁判長は遺族側の請求をほぼ全額認めて2870万円もの支払いを命じている。オレはこの判決には全く納得できない。仮に施設に落ち度があったとしてもそれは抜け出すことを防げなかったことだけであり、それでも1.5キロも歩けるような元気なお年寄りが徘徊してるのだから畑で凍死していることなど全く予想もできないと思うのだ。そしてこの訴訟を起こす遺族に対してもオレは納得がいかない。もしもオレがこの遺族の側だったとしたら何を望むのか。施設の外に逃げ出さない様に拘束していたらそれで満足するのか。世間ではそれを「虐待」として扱うだろう。
徘徊して帰れずに死亡してしまったということは不幸な出来事だ。しかしそれはあくまで不幸な事故であり、誰かに責任を求めて賠償させるという意味のものではないはずだ。いなくなったことに気がつき、一緒になって探してくれた施設の職員が見つかった老女の遺体の傍らで「見つけられなくてごめんね」と涙を流していたら、もしも亡くなったのがオレの母であったとしてオレはその職員を責めることなどない。誰の責任でもなくそれは不幸な事故だからだ。どうしてこういう出来事にまで「誰かの責任」を求め、そして「賠償金」を要求するのか。どうして悲しみを静かに受け入れるというだけで済ませられないのか。
その老女が一家の大黒柱でその収入に家族が支えられていたわけでもないのに、その過大な賠償額はいったいどういうことなのか。オレはこの訴訟の目的がわからないのだ。オレが施設側の人間ならばこのような裁判を起こされたことについてものすごく残念に思うし、もう認知症の人を受け入れたくないと思うだろう。そこまでのリスクを負うくらいなら断った方がいいと思うだろう。こんな判決を出すことでどれだけ世間に影響が出るのか、この裁判官はわかっているのだろうか。
オレの父親は死ぬ直前まで意識がはっきりしていて最後まで普通に会話ができた。自分の近親者の認知症に悩まされたことは一度もない。伯母は最後は認知症になったが、オレが最後に対面したときはまだ意識ははっきりしていて普通に会話ができた。だから認知症のことを語れるほどの体験があるわけではない。オレのこの文章を読んできっと反論する方もいるだろうし、そうした意見があれば傾聴に値するとオレは思っている。
今回の判決を受けて施設には賠償責任が発生する。2870万円ものゼニを賠償させられる施設にオレは深く同情するのである。
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