2016年05月01日(日) |
舛添要一都知事がクズであることの理由 |
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舛添要一の豪華海外出張が話題になってる。一泊19万のスイートルームに泊まったとか、飛行機がファーストクラスだとかいうことが批判の対象になっているわけだ。オレは別にそれはなんとも思わない。彼はきっとそういうところで一流を求める人間なんだろう。世の中には一度一流のものに接してしまうともう二度と普通のものでは満足できなくなる人間がいる。舛添要一もその一人だ。彼が小倉高校から東京大学に進学したのも、きっと九州大では満足できなかったのだろう。
ただ、その一流趣味、高級趣味は「自腹」でやるべきなのである。もしも舛添知事がそうした豪華出張の経費を自分のポケットマネーで補っていたら世間は問題にしなかっただろう。つまり、すでに十分金持ちである人間が、貧しくて租税回避地などを利用できずにきちっと納税するしかない人たちの納めた税金を、豪快に使い倒してるから批判されるのである。要するにそういうことなのだ。舛添要一というのは要するに「人のゼニなら平気で使える」というタイプの、もっとも政治家になってはいけないタイプのクソ野郎だったのである。
政治家がどうでもいいくだらないハコモノに支出したり、土木工事にゼニを使ったりできるのは、それが自分のゼニではないからである。そこで生まれる借金に対してなんの責任も負わなくていいからである。だから2つのプランが存在して、比較して安くつくような場合でも、高い方の事業者から賄賂をもらえば高い方に便宜をはかる。それが政治家の常識なのだ。納税者である住民が損をしても、自分が個人的に得をしているならそれでいいということだ。
舛添知事の豪華外遊も、納税者である都民は余計な負担を強いられているわけだが、舛添要一には「そんなの関係ねえ」である。自分は都知事サマという特権階級であり、そういう特権階級の自分がファーストクラスを使い贅沢な部屋に泊まるのは当たり前であり、普通の出張をしている他府県の知事は一般人だから自分とは格が違うと思っているのである。彼の周囲を見下した強烈な自意識、それは過去に離婚した妻に対して行ったDVにも感じられる。強烈な自意識は支配欲にもつながる。その支配に服従しない相手は暴力でも支配しようとするからDVになるのである。ちなみにオレは妻へのDVと聞いただけで他にどんな能力があったとしてもそいつは人間のクズだと認定する。結婚離婚を繰り返し、その離婚の理由がDVや浮気であったという人間は、政治家となる前に人間としてまともではない。そういう人間をなぜ都知事に選んでしまったのか。他の候補者がいかにダメだったのか(たとえば田母神)とオレは都民に同情するのである。
堀江貴文氏が舛添要一都知事を擁護する発言をしていたが、彼のような突き抜けた金持ちならば、特権階級が庶民とは違った待遇を求めることは当然だと思ってるだろうし、彼にとって舛添知事は「お仲間」なのだからその「お仲間」を擁護するのは当然である。堀江氏には階級意識がある。ただ、堀江氏はその階級に自分の努力で上り詰めたわけで、オレはそのことは立派なことだと思っているが、堀江氏はそのゼニが誰のゼニであるかという問題を理解していない。
親子の情愛なんてものを理解しないから舛添知事は愛人に子どもを産ませまくるのだし、相手の身体のことなど全く無頓着だから避妊もしない。生まれた子どもに対して父親としてどう関わっていくかなど考えてないから愛人が妊娠しようとどうなろうと無関心だ。なにしろ自分は一般人とは違った特権階級なのである。保育所よりも韓国人学校を優先するということから、彼が子どもへの愛情など端から持ち合わせていないことは明白である。
大企業のトップが贅沢するのはオレはかまわないと思っている。だってそのゼニは企業活動によって得られたものだからだ。会社がもうかっていてその対価の報酬としてもらった以上それは自分のゼニだ。(会社が赤字なのに自分には巨額報酬を出すユーシンの会長はクズだが)
しかし、自治体の首長は企業経営者ではない。どんなにその自治体にゼニがあってもそのゼニは住民のゼニなのである。それを「自分が自由に使えるゼニ」と錯覚した時点で舛添はただのクズに堕落した。もっともそれはすでに人間としてクズだった彼が、今回新たに政治家としてもクズであることが付与されたに過ぎないわけで、まあ世の中には救いようのない人間がいるんだなと改めて思った次第である。オレはDVの話を知るまでは彼のことを頭のいいまともな人間と思っていたわけで、残念な話である。すぐれた素質を持ちながらどうしてクズになってしまったのか。それとも最初からクズだったのか。
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