2016年01月25日(月) |
書評 『テルアビブの犬』 何があってもあなたを愛します〜小手鞠るい |
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私と同じか、それよりも下の世代の方なら、世界名作劇場で『フランダースの犬』を観て涙した経験があるだろう。貧しいネロ少年はやさしいおじいさんと暮らしている。パトラッシュという名の愛犬がいて、アロアというよき理解者の少女がいて、ネロは絵が好きで画家になりたいと夢見ている。アントワープに行ってルーベンスの絵を見たいと思ってるが,観覧料が高くてその夢は実現しない・・・・ 放火犯の疑いをかけられ、失意の中でネロ少年は聖母大聖堂のルーベンスの絵の前でパトラッシュと一緒に冷たくなっていたという救いのない形でこの物語は終わる。
その『フランダースの犬』へのオマージュとして書かれたのがこの『テルアビブの犬』である。足の悪いおじいさんと二人で暮らしている少年の名はツヨシである。おじいさんとツヨシはある日、虐待され傷ついて倒れていた老犬を見つけて懸命に介抱する。その犬はソラと名付けられ、回復してからは二人のよきパートナーとなる。物語はこの老犬ソラを通して語られる。
おじいさんは廃品回収の仕事をしていた。そうして得たわずかのお金で、ツヨシの学用品を買い、生活に必要なものを買った。二人はいつも貧しかったが、心は豊かだった。なぜなら二人には全く欲がなかったからである。しかし、ソラと出会ってからは一つの願いが生まれた。二人は天に祈った。「いつまでもいつまでも、ソラが僕らと一緒にいてくれますように。この犬が長生きをしてわしらのそばにおってくれますように。」
ツヨシはやがて、一人の少女と出会う。彼女の名は「風砂子(ふさこ)」である。養父に育てられていた少女の実の父親の名前は「岡本康三」だった。登場人物のツヨシ、フサコ、康三・・・この名前の意味するところは何か。それはもう明らかである。この小説の題名が「テルアビブの犬」であることから察しのいい読者はもうわかっているのだ。『フランダースの犬』が救いようのない悲劇であるように、『テルアビブの犬』も、悲劇に向かってまっすぐに進んでいくしかない物語である。
1972年5月30日、テルアビブ空港で銃を乱射して多くの犠牲者を出したあの無差別テロ事件の実行犯は、日本赤軍幹部の奥平剛士と、京都大学の学生だった安田安之、鹿児島大学の学生だった岡本公三の3名だった。事件に関係した日本赤軍の幹部には重信房子がいた。奥平剛士はなぜその事件を起こしたのか。彼の死後、その遺稿はまとめられ、出版された。その本には「天よ、我に仕事を与えよ」という題名がつけられている。
この小説の作者の小手鞠るいさんは、この作品を「やなせたかし氏との約束の作品」と位置づけている。やなせたかし氏の代表作である「アンパンマン」の中には、共産主義的な思想が色濃く反映されている。登場人物はお金儲けのために仕事をしているわけではなく、誰かを喜ばせるために働いている。貧しい人もそうでない人も、みんなが助け合って幸せに暮らしていける、そんな理想的な社会である。しかし、現実にはそんな社会は存在しない。そうした社会を実現しようとして必死に努力した先にあるものはいったい何なのか。どうしてその夢を実現する手段がテロという悲劇になってしまうのだろうか。資本主義社会を否定して理想を実現するためには人はどうすればいいのか。
この本はとても悲しく、そしてせつない。読み終えた後でこみあげてくるのはなんとも言えない寂寥感であり、そして苦しさである。それでも私は一人でも多くの人にこの本を読んでもらいたいと願うのである。考えてもらうために。ソラという犬の願いをかなえるために我々はいったい何が可能なのかと。
無差別テロによって社会を変えることはできない。でもこの胸を打つ物語は、確実に読んだ人の心を変えることができる。この理不尽な社会に対して多くのメッセージを示してくれている。我々はこの訴えを理解しなければならない。
テルアビブの犬
天よ、我に仕事を与えよ―奥平剛士遺稿 (1978年)
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