2015年11月04日(水) |
キューバの教育は世界一だそうです |
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池上彰さんの番組で紹介していたが、キューバの教育は世界一らしい。なんでもGDPと比較して教育費の占める割合が世界で1位、ちなみに日本は最下位だそうだ。キューバでは幼稚園から大学まで教育は完全無償化されているという。しかも小学校では1クラス20名以下の少人数制である。
オレはそれを観ていて思ったのである。明治維新の日本もそうして誰でも教育を受けられるチャンスが与えられ、真の意味の平等が実現する社会を目指していたのではないか。どうして間違ってしまったのだろうか。
貧富の差によって教育の結果に差が出るということは間違ってる。少なくとも本人の努力で結果が左右されるようになって欲しい。もちろん努力しない場合、どんなにゼニを使っても環境を与えても結果は出ない。しかし、そのチャンスすら与えられない場合はどうしたらいいのか。
その国の治安をよくするのも犯罪を減らすのも、すべて教育に委ねられている。幼児教育、初等教育の時にしっかりと人格形成することで将来の犯罪を減らせるのははっきりしている。
なぜこの日本という豊かな国で教育の完全無償化が実現できないのか。若者が奨学金という名の教育ローンを背負わされてしまうのか。1000兆円を超える巨額の国の借金を返すのは誰か? 地殻変動があればただの廃墟になるリニア新幹線の建設費は誰が返すのか。数千年に一度のカルデラ噴火が起きれば一瞬にして土石流で破壊される場所になぜ原発が建てられているのか。常識で考えればおかしいと思うことがこの国には多すぎる。
そしてキューバでは助け合いの精神が発達していて、たとえば学校へ送迎するのに親が仕事で行けないときは近所の人が代わりに送ってくれたりするという。帰宅した子どもたちに宿題を教えてくれたり、親が仕事を終えて帰るまで面倒を見てくれる「学童保育」みたいな場が用意されている。教科書はお下がりを修理して使い続ける。そうして「モノを大切にする」という精神が養われるのだ。
キューバではアメリカではもう見られないような古い自動車がたくさん走っている。古いクルマを修理して使い続けているのだ。そうした部分にも「モノを大切にする」という精神が根付いているのである。
豊かさとはいったい何だろうか。ブータンやミャンマーは世界の最貧国とされるが、そこで暮らす人たちは不幸なのだろうか。豊かさの尺度が先進国の基準で金銭的な価値だけで測られていないだろうか。
キューバでは乳幼児の死亡率がアメリカよりも低い。誰もが平等に医療サービスを受けられるというのはそういうことなのだ。急患がたらい回しになったあげくに命を落とすこともある日本の医療システムは誇るに値しないとオレは思ってしまうのだ。
貧しい家に生まれても、本人の努力でどんな能力も身につけることができるという世の中は、かつて吉田松陰が松下村塾で目指したことではないのか。そんな教育の理想はいったいどこに行ってしまったのだろうか。高額の受益者負担を強いる日本の教育システムを誰もおかしいと思わないのだろうか。
せっかく法科大学院を設置しても、司法試験合格者はそれほど増やさなかったので結果的に法科大学院を出ても司法試験に合格できない人を大量に生み出した。なぜ合格者を増やせなかったのか。それは法曹関係者の既得権益を守ろうとしたからである。なぜ医学部の定員が抑えられてきたか。それは医師会の圧力が強かったからである。どうして教育の機会は平等ではないのか。そうすることによって階級が固定化されることを狙っているからである。富める者の子弟がよりよい教育を受けることができ、貧しい者が希望通りに進学できないようにすることで、階級は固定化されるのだ。そうして貧富の差は拡大していくことになる。親が生活保護を受けていればその子が生活保護を受給する率は4割近いという。そうして貧困の連鎖が続くのである。
我々の社会はどこで間違ってしまったのだろう。どうすれば平等な教育は実現したのだろう。世界で唯一成功した社会主義国であるキューバを見て、オレは日本のかつての歩みを振り返るのである。我々はいったいどこで道を誤ってしまったのだろうかと。
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