2015年11月09日(月) |
あの外山恒一氏が大阪に来ているらしい・・・ |
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11月22日は大阪府知事・大阪市長のW選挙投票日である。さて、その選挙なんだが、なんとあの東京都知事選挙の政見放送で有名になった外山恒一氏が大阪に来て「ニセ選挙運動」を展開しているらしい。「誰も投票しなければ誰も当選しない!」と選挙ボイコットを訴えているのである。
外山氏の主張は基本的にむちゃくちゃである。あの都知事選挙の政見放送だって、あれは政見放送という形をとったただのパフォーマンスだと思っている。もちろん大勢の人に効果的に自分を知らせるのには大いに役立ったはずである。
ただ、彼のむちゃくちゃな主張は、もしかしたら本質的なところで的を射ている部分があるかも知れないのだ。たとえば「選挙なんて多数派のお祭りだ」「そんなことでは何も変わらない」ということを彼は主張してるが、そこはオレも同感である。日本新党の細川護煕氏が首相となって自民党が下野して何かが変わったか?否である。民主党が政権を取ったことで何かが変わったか?それも否である。国の借金はどんどん増える一方だし、重大事故が起きればもしかしたら日本列島から国民が総員退去しなければならないほど危険な原発も、相変わらず完全撤退という選択肢を示す政権与党はない。
おそらく今は共産党以外のどの党が政権を担ったところで結果は同じだろう。政治家の多くは世の中を劇的に変えようとは思っていないのである。多数派というのは「今のままでテキトーに成り行き任せでいこうじゃないか」という人達であり、選挙では常にそういう勢力が勝つのである。何も変えられないのである。そんな無意味な選挙なら「ボイコットするべきだ」という彼の主張に一部同意したくなるのである。
外山恒一氏は今回の大阪でのW選挙期間中に「投票ボイコット」を呼びかけて大阪を行脚するそうだ。また、投票日まで毎週「木金土」に千日前の味園ビル2Fの「TORARY NANDO」で飲んでるそうである。きっと彼に逢いたいという大勢の心ある人達が集まることだろう。私も行ってみたいと思う一人である。
日本というのは本当に言論の自由が保証されている国だと思う。もしも中国やロシアにこの外山恒一氏のような方が居れば、即座に逮捕されてそのまま収容所に送られるだろう。日本だから彼の発言や著書は単なるネタとして処理され、彼の真摯な政治主張はなぜか「お笑い」のカテゴリーに分類されてしまうのである。
しかし、政見放送をただのパフォーマンスにしてしまうという意味で、彼のようなインパクトのある存在は過去にあっただろうか。マック赤坂さんや又吉イエスさんのような選挙のたびに出現する謎の立候補者たちとはかなり違うのである。当選する可能性のほとんどない出馬宣言から、さらに一歩進んで「投票ボイコット」を訴える彼の挑発は、我々に対する大きなメッセージである。ただ投票に行くだけで民主主義の義務を果たしているような気分を味わってる我々に、彼が突きつけるものの意味を今一つ考えないといけないとオレは思うのだ。
選挙によって何かが変わるのだろうか。たとえばミャンマーではアウン・サン・スーチーさんの所属する野党が過半数を占める勢いだという。しかし、選挙の結果が不当にねじ曲げられてしまう可能性も高いし、前回選挙はそうだったと言われている。
日本では本当に公正な選挙が行われていると言えるのか。人口に占める高齢者の比率が高い上に投票率も異常に高く、少子高齢化でもともと人数の少ない若者の投票率が低いという結果、政策は高齢者へのバラマキ中心となってしまう。いっそ一票の価値は「平均寿命−年齢」を乗じて算出し、マイナス票にするわけにもいかないので85歳以上は1票だが、50歳なら一人35票、18歳なら一人67票あるということにすればどうか。人生の残り時間に対して責任の重い人ほど一票の価値を重くするのである。そうすれば選挙の結果は劇的に変わるだろう。既得権益の代弁者であった老害政治家たちは一掃され、議員の平均年齢は一気に若返るかも知れない。
大阪のW選挙ではなんと維新に勝たせないために共産党と自民党が手を組んだ。政策に大きな隔たりのあるこの2党が手を組んでいるくらいに選挙戦はもう破れかぶれのなんでもありなのである。野次馬として見ている分には面白いかも知れないが、オレは大阪市民でこそないが府民でありこの選挙の当事者の一人である。外山恒一氏に賛同して投票ボイコットをする気はないが、かといって選挙の結果で何かが変わるのだろうかという部分に関しては同様の感想を抱いているのである。
外山恒一氏の有名な政見放送動画
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