2015年05月18日(月) |
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住民投票の結果、僅差ながら大阪都構想に反対する側が多数となり、大阪都構想は廃案となった。オレはテレビで各区別の賛成反対の数を見ていたのだが、税収の少ない区ほどなぜか反対が多く、逆に税収の多い区に賛成が多かったような気がした。金持ちは大阪市解体を望んでいて、逆に貧乏人は大阪市の存続を願ったということなのだろうか。そんな単純なことではないのかも知れないが、少なくともこれで大阪が劇的に変わる機会を永久に失ったことは間違いない。投票の内訳を世代別にみると、とくに賛成した人が多かったのは20代(61%)と30代(65%)。40代(59%)、50代(54%)、60代(52%)も賛成が過半数を占めた。一方、70歳以上は反対が61%で賛成を上回った。そう、20代から60代まではすべて賛成が多いのである。ところがその賛成を、70歳代以上の反対票が上回ったのだ。老人パワーが大阪都構想をぶっつぶしたのである。
大阪市の天下りの連中の無能さは、さまざまの失敗事業を見ればよくわかる。住之江公園駅前のオスカードリーム、動物園前のフェスティバルゲート、いまや廃墟となったラスパ大阪などいくらでもあげることができる。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのあのUSJでさえ、最初は無能な市の天下り社長のせいでつぶれかけていたのである。早々と捨て値で売り飛ばしたからこそ今の繁栄があるわけで、もしも売らなかったらフェスティバルゲート以上の巨大な廃墟になっていたことは間違いない。もっともここまで天下りの連中が無能だと言うことは、きっと天下る前も無能だったんだろう。そうに決まっている。まともな人間が急にダメな人間になるとは思えないからだ。ろくに経営感覚もない馬鹿が、隠居して仕事もしないで報酬だけもらうつもりだったんだろう。
オレは松原市の住民だが、払ってる住民税に比べて受けているサービスはあまりにも少ない。天王寺までたった10分で出られるという便利な場所にありながら、広大な田んぼや畑が広がる忘れられた田舎がオレの住む松原市なのだ。そんな弱小自治体の松原市は早くなくなって、大阪都の特別区の中に吸収されればいいと思っていた。松原市は大阪府の衛星都市の中ではかなり早いペースで少子高齢化が進んでいて、小中学校はもはや適正規模をかなり下回っている。子どもが急激に減ってしまっているのである。人口規模がたった12万ほどの市なのに、6年間で小中学生が1600人も減ってしまうのだ。さっさと大阪市に吸収してもらって、「大阪市なのに地価が激安!」ということで発展してくれるかとオレは期待したのだが、その夢はあえなく消えたのだ。
大阪市のままであると言うことは何も変わらないと言うことである。何も変わらないと言うことは、今の状況が継続してこのままゆるやかに滅びていくということである。高齢者たちの多くはそのまま滅びていくことを選び、大阪を冥途の道連れにしたのかも知れない。高齢者は圧倒的に反対票が多く、20代30代は6割が賛成票を投じたということからもわかるように、老い先短い老人たちが自分たちの目先の利欲のために若者の夢をつぶしたようにオレには思えてしまうのだ。なんて情けない結果なのか。若者がもっと積極的に賛成票を投じていれば住民投票の結果は変わっていただろう。投票に行かなかった若者たちは、仲間たちの夢を奪ったことについてどう思ってるのだろうか。
オレは変化を望んでいた。大阪が変わることを願った。太田房江知事はシャープから賄賂みたいな形で大型テレビをもらったし、どう考えても税金の無駄遣いとしか思えない法外な経費での府立高校エアコン設置事業を行って企業に利益供与したが、その事実はマスコミにも黙殺され、府議会でも全く追及されることはなかった。教室のエアコン一台あたり640万円なんてどうかんがえてもこの経費はおかしいだろうと書いたのはオレの日記くらいである。だからこそ橋下知事が登場して大阪府の腐った利権構造をたたきつぶそうとした時は拍手喝采を叫んだのである。いくつかの同和利権が明るみに出て関係者は逮捕されたりした。もっとも教育行政に関してはオレは納得していないのだが、それ以外の部分に於いてはさまざまに評価できる改革であったと思う。
大阪都反対を叫んだ高齢者たちは20年も経てばほとんどこの世からいなくなる。変わることを願った若者たちは「やっと目の上のたんこぶが消えた」と我が世の春を謳歌する堕落公務員たちの惨状にまたまた泣かされることとなる。せっかく禁煙化できた大阪府庁や市役所はもとの喫煙天国に戻るかも知れない。タバコを吸ってボヤ騒ぎを起こしたあのクソ迷惑な地下鉄の職員はどうなったのだろうか。
橋下氏は政治の世界を引退するという。任期を終えればもう二度と政治の世界には帰ってこないということを表明している。その政治手法にさまざまな問題があったことは事実だ。劇場型民主主義というものが危険なこともオレはよくわかっている。しかし、投票率が50%を大きく下回るような選挙になんの価値があるのか。最近の国政選挙や統一地方選挙のあの低投票率は何なのか。
都構想反対派は自分たちの既得権益を守ることに成功し、改革なき大阪と一緒にゆるやかに滅びることを選んだ。都構想の中味がわかりにくいという批判をしてきた反対派は何一つ大阪の未来のビジョンを示せていないのである。
「なんかよくわからんから反対」というやる気のない大衆は、大阪をなんとか変えようという夢を打ち砕き、政治の世界から橋下氏という一人の異端者を追放したのである。
国に対して「こんなぼったくりバーの請求書のような金額が払えるか!」と抗議したのは橋下氏が最初である。それまで誰もそんなことは言えなかった。
カリスマを失った維新がこれから崩壊する可能性は高い。じゃあ自民や民主や公明や共産が大阪を変えられるのか? そんなことが無理なことはこれまでの歴史が証明している。大阪はついに終了したのである。それだけは間違いない。
2003年11月20日の日記「大阪府立高校はホテル並みに快適です。
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