2015年03月26日(木) |
裁判に正義はあるか? |
携帯用URL
| |
|
なぜ日本の刑事裁判は性犯罪や少年犯罪に対してかくも甘いのか。オレはいつもそう思ってきた。2013年に三重県で女子中学生が家の近所の空き地で殺された事件もそうだ。犯人の少年は事件直後も他人事ののようにツイッターでつぶやき、平然としていた。そのまま逃げ切れるとでも思っていたのだろうか。
その裁判の判決が出た。記事を引用しよう。
三重の中3女子死亡、少年に懲役5〜9年の不定期刑
TBS系(JNN) 3月25日(水)6時4分配信
おととし、三重県朝日町で当時中学3年生の女子生徒が花火大会から帰宅途中、少年に暴行され死亡した事件の裁判員裁判で、津地裁は、強制わいせつ致死などの罪に問われた少年に対し懲役5年以上9年以下の不定期刑を言い渡しました。
判決によりますと、19歳の少年は当時18歳だったおととし8月、三重県朝日町で、当時中学3年生だった15歳の女子生徒の口と鼻を手でふさぎ、わいせつな行為をして死亡させた強制わいせつ致死などの罪に問われていました。
24日の判決で増田啓祐裁判長は「少年の身勝手な行動で重大な結果が生じた」と指摘したうえで、「責任の重さを自覚させるのが相当」と述べ、懲役5年以上10年以下の求刑に対し懲役5年以上9年以下の不定期刑を言い渡しました。
「ある意味、殺意を認めているのになぜ懲役5年〜9年の不定期刑なのか」(女子生徒の父親)
女子生徒の遺族は「判決が求刑を下回った理由がわからない」と、判決への不満を示しました。また検察は、「遺族の心情が控訴への重要な要素。最大限考慮したい」とコメントしています。(24日23:19).
最終更新:3月25日(水)12時27分
なぜこの罪名が「強制わいせつ致死」なのか。金額の多寡はともかく、少女の金銭を奪った時点でなぜ殺人罪や強盗殺人を適用しなかったのか。オレは理解に苦しむのだ。「強制わいせつ致死」というのは「わいせつ目的でうっかり死なせてしまった」という意味である。これもオレは納得いかないのだ。なぜ殺人罪を適用しないのか。
日本の刑事裁判は性犯罪に対して甘い。再犯率の高い性犯罪者はどんどん死刑にすべきであって、もしも死刑を適用しないのなら去勢などの身体刑を科すというのがオレの従来からの主張である。しかし、そもそも法律がそんな内容になっていないのである。たとえば「強姦致死傷罪」というのがある。5年〜無期懲役ということなんだが、なぜか「死刑」がないのである。単純な殺人と強姦致死を比較した場合、どう考えても後者の方がはるかに重い罪だというのが市民感覚であり、被害者家族の処罰感情も重いはずである。しかし司法の世界では強姦致死というのは「強姦が主目的であり、うっかり死なせてしまったのは過失であって殺すことは本来の目的ではなかった」というとらえ方をするのである。
今回の三重県の事件が「強盗殺人」や「強姦致死」ではなく「強制わいせつ致死」となったのは、量刑を軽くするための欺瞞である。どう考えても死刑や無期懲役を選択すべき事案ではないのか。
今回の判決で「5年から9年の不定期刑」というきわめて軽い罰でこの少年はまた刑務所から出てくるのだ。オレがもし殺された少女の父親ならこんな軽い罰では絶対に納得しない。死刑以外絶対に考えられない。出所して平然としてる少年を拉致して、自分の手で処刑したいという気持ちになるだろう。もちろんそのときは自ら警察に出頭して「オレは正義を実行した。娘の仇をとった。どんな裁きでも受ける」と語るだろう。
裁判員裁判で凶悪事件の量刑は重くなったという。これまでの裁判官だけの裁判では量刑というのはきわめて機械的で、殺した人数によって量刑が決まっていてその中味に踏み込んで判決を下すと言うことはなかった。1996年に沖縄県名護市で15歳の女子中学生が二人組の男に拉致されて輪姦された後、顔面を石でつぶされ絞殺され、遺体が崖から投げ落とされたという事件があった。どう考えても死刑しかないのに、裁判官は「被害者が1名、偶発的犯行」という実に機械的な単純な理由で無期懲役という判決を出したのである。少なくともこの二人の外道は、生きたまま顔面を石で殴打された後に崖から投げ捨てられるという応報刑が妥当なのではないのか。どうしてかくも犯罪者に甘い判決が出せるのか。
裁判に正義はない。少なくとも日本の刑事裁判は被害者遺族にとって全く納得できない状況である。機械的に量刑の1割引で判決を下すような裁判官は、自分で何も考えてない無能なクズである。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館