2015年03月11日(水) |
3・11で我々は何を学んだのか |
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東日本大震災からまる4年を迎えた。かなり復興は進んだように見えるし、人々の日常の生活も戻ってきた。しかし今でも故郷に帰れない大勢の人々がいる。そのほとんどは福島第一原発周辺の人々である。あの震災で我々日本人が学んだ最大のことは、大きな地震で原発がメルトダウンすれば、その周辺には居住できなくなるということだった。
ここで我々がとれる対策というのは二つである。一つは「メルトダウンしない原発を造る」もう一つは「原発をやめる」である。前者は海外の原発安全基準をみればすでに実用段階にあることがわかる。ヨーロッパでは「コア・キャッチャー」と呼ばれる、メルトダウン時に炉心がスライドして安全に除去できる機能を備えている。この設備がないと安全基準を満たしていないということで原発の建設は認められないのである。
しかし、日本の原発の中にはこの「コア・キャッチャー」を装備したものは一つもないし、今建設計画中の大間原発にもそれを装備する予定はないらしい。コストダウンという目的のために、安全性を犠牲にしていて、ひとたび大事故が起きれば対処できないというのが日本の原発の実態なのである。それどころか日本のマスコミは「コア・キャッチャー」という原発の安全に関わる重要な装置の存在について、報道管制でもしいてるのか全く国民に伝えようとはしないのである。日本人でその存在を知ってるのはオレの日記の読者か、「きっこのブログ」の読者くらいではないだろうか。
もう一つの方法は「原発をすべてやめる」ということである。そうすればどんな大地震が来ても原発がメルトダウンして大きな被害をもたらすという事態だけは避けることができる。前者の方法がコスト的に無理なら、後者の方法をとるしかない。もちろん廃炉にするにも多大なコストがかかるわけだが、それはメルトダウンした後のコストに比べればはるかに少ないのである。地震国である日本において安全な場所などない。海岸線に立地している原発はすべて津波の危険にさらされている。ひとたび巨大津波がくれば被害は避けられないのである。津波だけではなく、噴火などのリスクも日本では常に存在するのだ。
「発電」の方法はいくらでもある。火力も水力も風力も太陽光もある。そうしたいくつもの選択肢の中でなぜ危険なものをあえて選ぶのか。オレには理解できないのだ。それ以外の方法で電気を作り出す手段が存在しないのならば、我々は文明を維持するためにやむなく原発と共存しないといけないわけだが、幸いなことに「発電」にはいくらでも他の代替手段が存在する。それを多くの国民は理解しているはずだ。
福島原発の事故によって帰還困難区域となったのは日本の国土面積の何%だろうか。政府は北方領土や竹島、尖閣諸島といった地域に関して「日本の国土を守れ」と声高に主張する。しかし、原発事故によってその土地が利用できなくなるということは国土が失われたことに等しいのではないのか。それなのにどうして「原発をやめてこれ以上国土が失われる可能性をなくせ」とは言わないのか。オレは理解に苦しむのである。
いまの石炭火力発電所は昔とは全く違う。有害ガスの発生は極力抑えられて排気はフィルターできれいになってるし、エネルギー効率もいい。神戸製鋼が神戸市の臨海地区の工場跡地に建設した火力発電所は多くの原発が停止中の関西電力にとって不可欠の存在である。神戸製鋼は二号機を建設する計画を進めているが、オレは大賛成だ。そして、景気に変動される鉄鋼価格ではなく「発電による売電収入」という安定収益を得た神戸製鋼の株は迷わず「買い」だと思うのである。
復興住宅の建設はなかなか進まないそうだが、どうして「復興住宅」なのか。一時的な住居を建設するのならば、豪華なトレーラーハウスを提供してそれを空き地に並べ、必要なくなったらレジャー用に貸し出すというふうにすれば全く無駄がない。どうしてそういう発想がお役所にはないのだろうか。これだけ日本中に「道の駅」があるのだし、家族旅行用のトレーラーハウスのレンタル需要はいくらでもあるとオレは思うのである。
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