2015年03月06日(金) |
人をはねるくらいならおまえが死ね |
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高校3年の次男がクルマの免許を取った。そういうわけで我が家にある2台のクルマのうち、さすがにオレのFTOを運転させるわけにはいかないので、スバルドミンゴの任意保険の年齢条件を外してそちらに乗れるようにした。そういうわけで次男はドミンゴを乗り回している。任意保険料はかなり高額になってしまった。
調子に乗って乗り回してる次男に向かってオレは「ガソリン代自分で出せよ!」と言った。しかし次男は「カネないし、無理や」としゃあしゃあと答える。あまりにも親を舐めきった態度である。さすがにオレも腹が立ってきた。
「ええか、クルマを運転するということは責任が発生することなんや。事故起こしたらちゃんと対応できるんか?」「警察に電話したらええんやろ、そんなんわかってるわ」「いや、そもそも事故起こさんようにちゃんと運転できるんか?」「うるさいなあ、おかんやおとうよりもオレの方がよっぽどうまく運転できるわ・・・」
オレは語気を荒くして言った。
「覚えとけよ。絶対に人をはねるな! 目の前に人とガケがあったら、人をよけてガケにぶつかれ! 人をはねるくらいならおまえが死ね!」
息子に向かって「おまえが死ね」なんて、サイテーの父親である。
しかし、オレが言いたかったのは、それくらいの覚悟で運転して欲しいということだったのだ。さすがにオレのその暴言を受けた次男は目を伏せた。
息子の無事を願わない親はない。しかし、オレはそれよりも息子が誰かを傷つけることの方を恐れるのだ。その不注意な運転が誰かを傷つけることはないか、それによって取り返しのつかないことになりはしないかと恐れるのだ。誰かの大切な人の命を奪ってしまうような取り返しのつかないことになるくらいなら、まだその痛みをオレが受け止める方がいい。そんな意味でオレは「人をはねるくらいならおまえが死ね」と言ったのだ。
級友を殺した佐世保の高1少女の父親は自ら命を絶った。その気持ちがオレは父親として痛いほどよくわかる。そんな娘をこの世に送り出してしまったことの悔いをどうやって表現すればいいのだろうか。そしてオレがその父親の立場なら同じことをしただろうと思うのだ。
子どもを悪い人間にしようとして育てる親などいない。しかし結果として子は親の思ってもみない方向に進んでいく。親がまっとうな親であればいいのかというと、逆にそんな親に反発したりする。かといってクズのような親にはもっとクズの子が育つ。子育てというのはかくも難しいものなのだ。世間には子どもができないことを残念がる親が多いが、子どもがあるために不幸になってしまう家庭もまた無数に存在する。
もっとも親が覚醒剤や危険ドラッグを常用してるようなクズであったり、生活保護の不正受給をしているクソだったらどうあってもまともな子どもなど育つわけがないのだが。そうでないまっとうな親であっても、子どもがまともに育つかどうかはわからないのである。普通の親で子どもをちゃんとした人間に育てようという努力をしない親はいない。
クルマを運転していて一番怖いのは、自分の運転を過信した時だ。そして調子に乗って乱暴な運転を「うまい運転」と誤解している状況だ。世の若年ドライバーによる悲惨な交通事故はたいていそうした状況下で発生している。無免許で飲酒運転してクルマを暴走させた16歳がいたが、そんなものは論外である。まず「無免許運転」を許している親がいることがオレには想像つかないのである。そんな親も「どうしても息子が言うことをきかなくて」と言い訳するのだろうか。
子育てというのは大変なのである。親を親とも思わないような子に育ってしまったのも結局は我が身の不徳のいたすところなんだが。
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