2015年03月01日(日) |
「仰げば尊し」のない卒業式なんて・・・ |
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卒業式に必要なものは何か。卒業証書の授与とか校長先生のお話とか、答辞とか送辞とか、おきまりのさまざまな手順があるが、その中でもオレが大事だと思うのはやはり歌である。「仰げば尊し」が卒業式には不可欠だとオレは思うのだ。
実は今日、オレは次男の卒業式に出席した。いきなり「君が代」斉唱だったのでびっくりした。オレは大きな声で「君が代」を歌ったのだが、生徒もまわりの保護者もほとんど声が出ていなかった。せっかく歌うのだからもっと気合いを入れて歌えよ。それが国を愛するということじゃないか。
そして一連の儀式が済んで、生徒たちが別れの歌として歌ったのはなんか現代的なJ−POPの歌で、まあこれが今風の卒業式なんだと思ったが、卒業式の定番である「仰げば尊し」「蛍の光」が歌われなかったことにオレは愕然としたのである。なぜだ。どうしてあんな大事な歌がこの卒業式に抜けてるのか。それを歌わないでなんで卒業式の意味があるんだ。特にオレが許せないのは、この「仰げば尊し」がなかったことだ。
仰げば尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾年(いくとせ)
思えばいととし この年月
今こそ別れめ いざさらば
互いに睦みし 日ごろの恩
別るる後にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ別れめ いざさらば
朝夕 馴れにし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪
忘るる 間ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば
ウィキペディアで「仰げば尊し」について調べてみると、どうやら歌詞が文語的で難解だから歌われなくなったとある。それなら意味をちゃんと教えればいいじゃないか。どうしてそこで簡単にあきらめてしまうんだ。そこで教えなかったことで、大切な日本の伝統が失われてしまうということがわからないのか。
卒業式で恩師に深く感謝して、そして友との別れを悲しむというごく普通のことを歌詞にしてるだけであり、二番の「身を立て、名を上げ」の部分が「立身出世」を意味するから時代にそぐわないという批判はただの言いがかりである。学校を出て働くようになれば誰もが自立して「身を立てる」のである。
せっかく公立学校の卒業式で「君が代」の斉唱を義務づけても、口パクだけで生徒も教師もしっかり歌っていない。それはおそらく「君が代」の歌詞が抽象的でかつ観念的であり、彼らがそれに心を動かされないからだと思うのだ。しかし「仰げば尊し」は違う。目の前の恩師や友を思い浮かべながら、「さあ今、別れよう」と決別を語る。その歌詞は涙無しには歌えないとオレは思うのだ。だからこそオレはこの歌は卒業式に必須の歌だと思うし、女子高生が涙を流しながらこの「仰げば尊し」を歌うことが、この上もなく美しい卒業式の瞬間だと思うのである。
もっとも今の高校生は恩師を敬う気持ちもないし、また敬うに値する恩師も存在しないという批判もある。オレのようなヤクザな教師が敬うに値しないのは事実なんだが、しかしそんな極端な例を出してもらっては困るのである。大多数の教師はオレと違ってまじめに教育のために邁進し、生徒を育てることに尽力していらっしゃるのである。そのことを忘れてはならないのである。
「仰げば尊し」はすぐれた歌である。この伝統が日本で失われつつあるのに、台湾の学校では日本統治時代に歌われるようになった歴史を引き継いで、今でも歌われてるという。もちろん歌詞は中国語なんだが、それでもオレはなんだか嬉しいのである。
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