2015年02月24日(火) |
京都大学を目指す高校はたくさんあるべきだ |
携帯用URL
| |
|
大阪府の公立高校はこのごろ入試の仕組みがしょっちゅう変更されるのだが、今は文理学科というコースが公立TOP10と呼ばれる上位校に設置されていて、160人×10校という規模である。ただ、文理学科の中でもトップの北野高校と他の高校との間には難易度の差が存在する。そして、文理学科の定員はトップ10の高校の定員の一部であり、普通科のコースも存在するので、北野高校の文理学科を不合格になっても普通科に入学して捲土重来を期すことができるのである。
ところが来年度は北野高校と天王寺高校の入学定員をすべて文理学科にして、つまり優秀な生徒を10校に配分する従来の仕組みを廃止して、上位2校に集め、その2校をスーパー進学校にしようとするらしい。その結果どういうことになるだろうか。
確かに、北野高校と天王寺高校の進学実績は飛躍的に上昇するだろう。東大や京大を目指していて、なおかつ入学することのできる能力のある生徒ばかりが入ってくるわけで、その二校が勝ち組になることは間違いない。
しかし、その二校に入学した生徒がすべて東大や京大に入れるわけではない。その中で落ちこぼれる生徒も当然生まれるわけだ。本来なら落ちこぼれなかった生徒が落ちこぼれるのである。どんな組織でもそうなのだが、100%優秀な集団を作ることはできない。それは学校も同じで、全員を優秀にすることはできないのである。必ずその中で差が生じる。
また、その2校以外の他の公立高校はどうなるのか。つまりTOP10の中の他の8校である。具体的に言うと生野高校とか茨木高校とか四条畷高校とかである。ちなみにオレの母校は生野高校である。
他の8校にはこれまでは入学してきた「東大や京大を目指していて、かつ入れるだけの能力がある生徒」が入学してこなくなるわけで、成績上位層が見事に消える。その結果、その次のレベルの生徒たちの成績も、追いつこうとする目標を失うことで下がってしまうのは確実である。
かつては大阪府の9学区それぞれに存在した「がんばれば東大京大を目指せる公立進学校」が、実質大阪府で2校だけになってしまうのだ。それはトータルの進学実績を下げることにつながるとオレは予想するのである。
もっとも私学教員をしているオレにとっては、大阪府がそのような間違った教育施策をしてくれることはありがたいことで、その結果として上位の2校に入れなかった生徒がオレが勤務するような「東大京大を目指せる私学」に入ってくることは確実であり、むしろ我々私学教員には追い風となるのである。
一方、大阪府民にとってはどうか。東大や京大に公立高校から入学させるためには北野高校か天王寺高校に入学しないといけない。岬町とか河内長野市からその2校に通うのはかなり時間も定期代もかかる。岬町から岸和田高校に通うのと、天王寺高校に通うのでは片道で40分くらいの差があるのだ。
極端なたとえだが、もしも東京大学に入学できる高校が日本で上位10校しかないとしたらどうだろうか。おそらく東大生は同じような価値観で没個性的な集団になってしまうだろう。さまざまな地域、さまざまな高校からいろんな学生が集まってるからこそ意味があるのだ。大阪府のような人口規模の自治体の場合、その大きさで一つの学区にしてしまうよりも、いくつかに分けて進学校をたくさん作ってやる方がいい。生徒が400人いて、その中に東大や京大を目指すものが20人いるならば、各クラスにそういう生徒を分配することができる。同じ教室にそうしたトップランナーがいて、机を並べて学ぶことが他の生徒にとっても刺激になるのである。
オレの母校の生野高校は、オレが卒業した1979年には京都大学に20人の合格者を出している。しかし最近はかなり凋落してしまっていてなかなか京大に入れないのである。もしも大阪府のこの「上位2校集中作戦」が実行されれば、さらに入学者のレベルは下がってしまうだろう。
母校の凋落を悲しむという単純な理由だけではなく、オレは「より多くの生徒にチャンスを与える」という意味で、公立の上位2校だけをシード校にして他の学校の優秀な生徒をぶんどることに反対したい。
京都大学を目指す受験生がいる高校はたくさんあった方がいい。高校に入った時点で先が見えてしまうなんてなんだか悲しいじゃないか。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館