2015年01月30日(金) |
タリウム少女は猟奇殺人の夢を見るのか・・・ |
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せっかく名古屋大学理学部に入学しておきながら、人生の目的が「人を殺してみたかった」とはいったいなんだ。同じ高校の同級生に薬物を使って取り返しのつかない障害を与えてしまうなんてどういうことだ。オレはこういう類いの「サイコパス」という人種が一番嫌いだ。その存在そのものが平穏な市民社会にとって脅威だからだ。
彼女は自分のプロフィールに、将来の進路として「刑務所」「拘置所」などを書いている。これは将来犯罪を起こすことや、それが死刑になるような重大事件であることをすでに予定していたということである。未来の殺人を予定していて、ところが目の前にいつでも殺せそうな獲物があって、ついつい犯行に及んでしまったという感じなのだ。なんて危険な存在なのだろうか。
ついこのあいだ、佐世保では少女が同級生の首を切るという事件が起きた。どうしてそんな残虐な行為がいとも簡単にできてしまうのか。オレは恐ろしくてならないのである。殺された人の人生はその瞬間に終わる。殺人は一個の人格の将来の可能性まですべて奪ってしまう罪である。それをまるで娯楽のように行えることがオレには恐怖なのだ。まだ強盗や保険金殺人の方が動機が明確だ。「殺人」という行為を「遊び」の延長線上でできてしまうことをオレは強く恐れるのである。
こうした「サイコパス」に対して教育は無力である。佐世保では過去に起きた事件を踏まえて「命の大切さ」を学校で教えていたらしい。そういう活動を行ったところで、一般生徒と全く違った感覚を備えた「サイコパス」たちには何の効果ももたらさない。では我々一般市民はこういう人達の攻撃に対してどのように対処すればいいのだろうか。目の前の相手が「サイコパス」であることに気づいた時、どうやって逃れればいいのか。
今回、宗教の勧誘に来た女性を殺した19歳の名古屋大女子学生は、サークル活動にも所属していてその動画もネット上に存在した。高校までは普通に生活し、受験勉強して名古屋大学に合格することもできた。その本性を隠して一般人の中で過ごしていたわけだ。そして高校時代の起こした毒殺未遂事件は容疑者が特定できないままの完全犯罪だったのである。今回の事件を起こさない限りその犯人が明らかになることはなかっただろう。警察も学校も犯人を特定することができていなかったのだから。
しかし、「サイコパス」の思考回路は違うのだ。普通の人なら犯罪がばれないように・・・と工夫する。しかし、「サイコパス」は犯罪を「悪」であると考える能力が欠落している。だから逆の行動を取る。「自分がしたことを世間にわかってもらいたい」ということだ。今回の報道を逆手にとって、「昔はこんなすごいこともしていたのよ!」と言いたいのだ。
これまで多くの「サイコパス」たちが事件を起こしてきた。池田小学校事件の宅間守などはその代表例である。今回事件を起こした名古屋大女子学生は、そうした犯罪者たちへのあこがれを自分のブログに綴っていたという。その時点で彼女の異常性に周囲は気づいていたのだろうか。その異常な心に向き合うことのできた誰かはいなかったのだろうか。
もちろん、彼女は友人でさえも変な毒を飲ませたりするわけで、異常な心に向き合う前に殺されてしまうかも知れない。彼女の親は娘の異常さに気がついていたのだろうか。異常さを知りながらも、家を離れてくれることで安堵したのではないか。
ウィキで「サイコパス」の項目を調べると、次のような特徴があると書かれている。
良心が異常に欠如している
他者に冷淡で共感しない
慢性的に平然と嘘をつく
行動に対する責任が全く取れない
罪悪感が皆無
自尊心が過大で自己中心的
口が達者で表面は魅力的
名古屋大女子大生がこの項目にどれだけ該当するのかわからない。オレが想像するのは映画にもなったあの貴志祐介の小説、『悪の経典』の主人公のような異常者である。そんな恐ろしい存在が現実世界にいるのならば、どうやって我々は自分の身を守ればいいのか。
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