2015年01月26日(月) |
映画『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜 』 |
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かつて台湾は日本の植民地ではなくて、日本の一部だった。そこに住む人々は日常的に日本語と母語を使いわけ、日本式の学校に通っていた。もちろん朝鮮半島にあった学校ではハングルが教えられたし、台湾では中国語が教えられたわけで、学校には文字の読めない人をなくすという大きな意味があった。
日本は台湾の農業生産性を向上させ、人々を豊かにするためにさまざまな投資を行った。当時世界最大規模だった烏山頭(うさんとう)ダムを建設し、大規模な灌漑工事を行うことで耕地面積を拡大した。ダムが完成したのは1930年のことである。その翌年の1931年の夏、台湾代表の台南州立嘉義農林学校が夏の全国中等学校野球選手権大会に出場した。嘉義農林は勝ち進み、決勝戦で中京商業と対戦したのである。
嘉義農林を甲子園に導いたのは、近藤兵太郎さんというすぐれた指導者だった。野球の名門である松山商業での監督経験もある近藤氏は、嘉義農林の監督に就任すると部員たちに厳しい練習を課した。島で暮らす子どもたちにとって、「甲子園」と言われてもそれがどんな場所なのかピンとこなかっただろう。船に乗って遠くに出かけるなんてこともまた夢のまた夢だったのだから。
「一球入魂」である。一つの目標に向かって必死で努力する姿はかくも美しいものかと思う。映画は一度も勝ったことのなかった弱小野球部が少しずつ力を付け、そして地元の人達に支えられて甲子園で活躍する様を活写する。3時間20分という長さを全く感じさせない、最後まで画面から目を離すことができないすばらしい作品だ。
オレはこの映画を観ていて、何度も涙がこみあげてきた。それはこの映画の持つ素朴なひたむきさにうたれたからかも知れない。野球をテーマにしてながらほとんど野球をしている場面ので出てこない映画『バンクーバーの朝日』とは対照的に、映画の中では緊迫した野球のシーンが続く。選手として登場する出演者たちは撮影開始の前に3ヶ月の間、野球合宿を行ったのだという。有名な俳優に「野球のまねごと」をさせるのではなく、映画の中でもきちんと野球をさせることにこだわったからこそ、完成度の高い作品になったのかも知れない。
オレはこの映画が製作されたことを知った時、ものすごく興味を持った。アジア映画祭で上映されたときは日程が合わなくて観に行けなかった。台湾で公開され、興行成績がよかったという話を聞いてますます観に行きたくなった。日本統治時代の台湾を映画がどのように描いてるのか、そして台湾の人がどうしてこの作品を強く支持したのか、その理由が知りたかったのだ。実際に観てみるとその謎はたちまち解けた。単純に映画のテーマとなった題材がすばらしいだけではない。そこに出ている台湾人の俳優たちの必死の演技が観る者の心をうつからである。
台湾の人達にとって、日本統治時代はどのような時代だったのだろうか。現代の台湾の若者たちはその時代の歴史をどのように学んでいるのだろうか。東日本大震災の時に台湾が届けてくれた巨額の義援金は、彼らが日本を友邦として認めてくれていることの証である。我々はそのよき隣人として、両国の人々が交流できるように心をくだく必要があるだろう。
勝手な願いだが、この映画『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜 』はできることなら中国や韓国の人達にも観てもらいたい。彼らが声高に主張する「反日」というイデオロギーの空しさを理解し、我々がアジアの隣人として共生していく可能性を理解してもらうためにも、ぜひとも知ってもらいたい実話なのだ。
日本はかつて大東亜共栄圏というものを夢想していた。満州国は「五族共和」の精神が具現化した理想郷になるはずだった。西欧列強と対等に戦えるアジアの盟主として日の丸は植民地支配打破の希望の旗印だったのだ。ところがこの映画の中ではそうした政治的なものとは無関係に若者の無垢な心が白球を追う。ただ純粋に野球に打ち込むその美しさが観る者の胸を打つ。『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』は最高の野球映画である。オレは久々に魂が揺さぶられるような感動を味わった。
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