2014年12月31日(水) |
受験生よ、初詣なんかするな! |
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大学入試センター試験が目前である。受験生たちは今、必死で勉強しているはずだ。大晦日にお笑い番組を観ているような連中はすでに負けているのと同じである。オレの日記を見てるくらいならまだ許せるが、少なくともそんなふうに時間の無駄使いをする余裕があるならしっかり勉強すべきだろう。1分1秒でも無駄にせずに謙虚に受験勉強に取り組まないとダメだ。いくら志望校にA判定をもらっていても安心はできない。A判定だったのに落ちた受験生などいくらでもいるからだ。
さて、この受験シーズンの時期ともなると北野天満宮や太宰府天満宮といったいわゆる「学問の神様」的な神社にとってはかき入れ時である。さまざまな合格祈願のお守りやお札が飛ぶように売れるわけである。わざわざ昇殿してご祈祷してもらうような場合、五千円から1万円以上という金額が吹っ飛ぶのだ。しかし、そのような行為に果たして意味があるのかと不信心なオレは思うのである。そんな暇があるのならその分死ぬ気で勉強しろよ。忙しい受験生のために代参という方法もあるらしいが、そんなものはすべて神社の金儲けである。御利益なんかあてにせずにただ受験勉強だけをがんばるべきだ。
オレは高校受験の時に親戚からお守りをもらったが、「いらない、オレは実力で行くから!」と拒否した。柴垣神社という地元のローカルな所に初詣に行っておみくじを引いたらなんと「凶」だった。そのおみくじが珍しいのでそのまま生徒手帳にはさんだままにしていて、高校受験の会場でその「凶」のおみくじを持ってることに気づいて焦ったが、そんなものは全くなんの影響もなかったのである。
こういうことを書くと、「それはおまえだけの特殊な事例だから」と言われそうだが、そもそも受験というのは努力した者が勝つという仕組みである。すぐれた素質があるものはその素質を活かし、素質に劣った者は努力でカバーし、そうして1点を争うのが入学試験なのだ。この「1点を争う」という行為が無意味だとして、センター試験は将来廃止されるそうだが、じゃあコンマ1秒を争うオリンピックの陸上競技はどうなんだ。メダルを廃止して「速い人たち」をまとめて表彰するのかと言いたくなる。500点と501点は誤差の範囲内だが、900点と901点は違うのだ。高得点になればなるほど1点の重みは増すのである。常に満点を目指して究極の努力をする受験生と、適当に6割くらいを目指してる凡庸な連中とは1点の重みが全然違うのだ。
その「努力」の方向というのはまさに勉強することの中でのみ見つかるのである。人よりもたくさんの神社にお参りしたとか、たくさんのお守りやお札を集めたとかいうことは全く受験とは無関係だ。
堺市には家原寺という受験をビジネスにしてる寺があるが、そこに奉納されてるハンカチの中にはたまに志望校の漢字を間違えているものがある。「短大」の「短」の文字の偏とつくりが左右逆になってるのを見てオレはあまりのお馬鹿ぶりにあきれたことがあるが、もっともそこに書かれていたのは志願者全員が入れるような定員割れの短大だったのでそもそもお参りの必要すらないとオレは思ったのである。
センター試験を前にして受験生たちがやることはただ一つ、今年一年間で受験した模擬試験の見直しであり、同じ間違いを二度と繰り返さないという最後のチェックだ。受験生というのは案外過去問の見直しがおろそかなのである。毎年同じ知識が問われてるのに、その同じ知識を身につけられずに落ちるのが大多数の受験生なのだ。
予備校の自習室に朝から晩までこもって、「オレは毎日12時間やってる」などと自慢する馬鹿の中には、「勉強」ではなくて「勉強のふり」しかできてない者も多い。そして、そういう怠け者を確実に落とすために入学試験は存在する。
オレは大学の受験直前の時期、のんびりしている余裕はほとんどなかった。観ているテレビ番組は30分×2本だけだった。「宇宙戦艦ヤマト」と「ペリーヌ物語」だ。それ以外の寝る時間と食事・入浴の時間以外は全部勉強だった。初詣にももちろん行かなかった。京都大学の下見に行ったときに吉田神社に行ったくらいだ。それだけ必死で勉強していたオレから見れば、今の受験生たちはいかにのんびりしてることか。スマホをいじり、携帯ゲームをしているような時間があることがオレには想像もつかないのである。
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