2015年01月01日(木) |
日本はこれからどこへ行くのか・・・ |
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えんえんとお笑い番組を見ている子どもたちにテレビを支配され、大晦日は紅白歌合戦を見ることができなかった。それで元旦の朝に録画していたのを早送りしながら見たわけだが、どうしてこの番組はこんなにつまらないものになってしまったんだろうか、どうして歌はつまらなくなったのだろうかとオレは考えた。いつから日本の歌はハートを失ってしまったんだろうか。日本語か外国語かわからない意味不明の単語の羅列を、頭の悪そうなヤンキー風の連中が下手くそにつぶやいたり、空虚な愛や恋のフレーズを並べて若い女の子が踊るだけのパフォーマンスになっていて、全然心に残らないのである。
歌はいつから心をなくしてしまったのだろうか。
いや、歌が心をなくしたのではない。日本人そのものががいつのまにか、歌うべき心をなくしてしまったような気がしてならないのだ。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
かつて日本は貧しかった。戦争に敗れ、大都市はみんな焼け跡になってしまい、多くの国民はすべてを失ったところからスタートした。資源もなく土地も狭い日本にとって、富とはすべて「働いて作り出すモノ」だったのである。それから数十年の間に国民が働いて築き上げた資産は日本を豊かにした。いつのまにか国民の多くは「豊かであること」をまるで昔から日本がそうであったかのように受け止め、全く働かない者、努力しない者たちまですべてが「贅沢に暮らす権利」を要求するようになった。
かつての家制度は完全に崩壊した。人々は帰るべき故郷を失い、死んだら入るべき墓もなく、祀ってくれる子孫もないという状況になった。過去から連綿と受け継がれてきた「家」というものがどんどん崩壊しているのだ。子や孫に囲まれて幸せな老後を送れるはずだったのに、いつのまにか家族がバラバラになって孤独な日々を過ごす中で人は生きる望みを失ってしまった。昔よりも豊かになったはずなのに、どうして昔よりも幸せでなくなったのか。どうして貧しかった昔の方がずっと人々は幸せだったのか。
離婚率は上昇して今や50%を超えた。結婚して複数の子どもを作り、子や孫に囲まれて穏やかな老後を過ごすというのは少数派となってしまったのである。かつてはごく普通の家庭の姿だったことが、今は少数派となってしまい、離婚して母子家庭や父子家庭になったり、あるいは子どものないままの独身で年を取っていくことがむしろ多数派を占めるようになったのだ。少子高齢化が進行する背景には、かつての家族モデルそのものが崩壊しているという状況があるのだ。このまま進んだらいったいどうなるのか。
オレは50年後、100年後の日本を想像することができない。もちろんそんなに長生きできない以上、死んだ後の世界がどうなるかはわからないのだが、日本が滅びに向かって進んでいるということだけははっきりとわかる。政治家が真っ先に手を付けないといけないことは、増税でもなければ外交でもない。この少子高齢化という流れ、家族の崩壊という日本社会の状況に関して何らかの対策を講じることではなかったのか。日本が将来も日本として存在するためにはそれがもっとも大切なことだったのだ。
中国は日本や韓国を属国化するために着々と動いている。中国からの移民を制限する仕組みを持たない状況下でどんどん日本に住む中国人は増え続けるだろう。50年後には日本の人口の2割は中国系住民になってるだろうし、100年後には過半数を超える。日本人が減少していくのに、中国人はどんどん流入するからである。そうしていつのまにか政治や経済の中枢を支配していく。それは日本だけの現象ではなく世界中で起きる。沖縄の独立や属国化というちゃちなレベルじゃなく、日本そのものが中国に支配されるのはさほど遠い未来ではない。ウイグルやチベットで起きたことが今度は日本で起きるだけである。移民がコミュニティを作ることに成功して地方自治体を乗っ取ったら、今度は「中国系住民の保護」という名目で人民解放軍が出てくるだけである。そんな事態を予測する政治家は日本には誰もいない。
もしもオレが18歳に戻れるなら、オレは文学部なんてヤクザな世界に進まずに日本をなんとかしたいと思っただろう。このまま滅びに向かう日本をなんとかして救いたいと思っただろう。しかし、オレにはもう時間も体力も気力もない。あとはただ余生を過ごすだけである。日々自分が衰えていくことを自覚している。オレにできることはこうして書くことで訴え、一人でもいいから今の状況に対して若者が危機感を覚えて行動してくれることを願うだけである。
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