2014年10月18日(土) |
なぜ静かに歩けない馬鹿がいるのか? |
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歩くときにはできるだけ足音を立てないように静かに歩くのが普通のマナーである。特にそれが病院とか、学校とかなら当然のことだと思う。授業中に急にお腹が痛くなって、それでトイレに行くとき、授業をやってる他のクラスに迷惑がかからないように静かに扉を開閉し、静かに歩くことは常識だとオレは思うのだ。
しかし、最近はそういうマナーを持たない馬鹿な生徒が増えてきた。オレが教えている進学校でもそうなんだから、偏差値の低い学校ではそんなこと全く考えてない傍若無人なヤツが大多数を占めるのだろう。
わざと靴をパカパカ鳴らしながら歩く馬鹿を見ると、オレは悲しくなる。どうしてそんなにおまえは歩き方がだらしないんだ。そんな歩き方をするヤツは日本人の恥だと思うのである。靴のかかとを踏んづけてスリッパのようにして歩く馬鹿を見ると、虐げられた靴がかわいそうでならない。世の女性たちにオレは言いたい。馬鹿と結婚して不幸になることを避けるためには、それをまずひとつの目印にせよと。もちろん貴女がやはり靴のかかとを踏んづけて歩く馬鹿女ならば、馬鹿同士しごくお似合いのカップルになれる可能性もあるわけだが。
今上映されている「蜩の記」という映画がある。この映画の魅力は登場人物の「所作」の美しさである。正座している姿、歩く姿、家族で食事をする姿、そうしてさまざまな所作がすべて美しいのだ。食事の時のお箸を使う仕草も一つの美なのである。それは日本人が伝統的に身につけてきた文化であり、また今の世の中でどんどん失われていくものの一つでもある。
オレはがさつな人間が嫌いだ。静かに過ごせない人間がとにかく嫌いだ。貧乏揺すりをしないではいられないヤツ、意味もなく机をペンで叩くヤツ、そういう人間が大嫌いなのである。
サンダルをつっかけて歩くと、かかとを引きずるようになってペタペタと音がするのだろうか?オレはふだんサンダルを履かないし、スリッパで歩き回ることもない。外出時はたいてい歩きやすい靴をはいているし、車を運転するからかかとが固定されてないサンダルやつっかけは履かない。だから街で朝からパチンコ屋の前に行列を作っている連中がサンダル履きで、カラダを締め付けることのないゆるーい服装をしていているのを見ると、こういうだらけた人間とは付き合いたくないと思うのである。オレはそういう方々とはお友達になりたくないし、実社会で決して付き合おうとは思わない。
なぜか成績の悪い生徒ほど傍若無人でだらしないし、成績のいい生徒は静かに歩く。不思議なことだがそういう傾向はかなり強いのである。成績が悪くても育ちが良くてしぐさやたたずまいが上品なヤツがいてもよさそうなもんだが、残念ながらそういうのはきわめてレアケースであり、育ちのいいヤツ、家でちゃんと躾けられている生徒は成績もいいのである。先生が前で話をしているときはちゃんと聞き、挨拶もきちんとできる。そして傍若無人なヤツは話もろくに聞いてないし、もちろん勉強もできていないのである。もはや同じ民族とは思えないほどに二極分化が進んでいるのだ。
学力の低い生徒が集まる高校では教室がゴミ捨て場になっていて、生徒はパンやお菓子を包んでいた紙をゴミ箱まで行かずに足下に投げ捨てる。これは面白い現象なんだが、入学試験の学力偏差値の低い学校ほど、そうしたマナーがなってないのである。公立高校ではその傾向が特に顕著だ。私立高校は生活指導がやかましく、そうしたマナーについてもきちっと指導されるのでかなり偏差値の低い高校でも教室はきれいに維持されてるということもあるが、公立ではゴミの投げ捨てとか平気な生徒が多い。
静かに歩くことができない馬鹿や、ゴミをそこらに平気で捨てる馬鹿が増えれば増えるほど、社会は住みにくくなっていく。せっかくの美しい日本が、どこかのマナーの悪い某国のようになってしまうことはオレには耐えがたいことである。
廊下は静かに歩く、公共の場所では静かにするというのは本来我々日本人がが当たり前のマナーとして身につけてきた文化である。新宿や池袋で大声でがなり立てるように会話しているのはたいてい外国人だ。
オレは馬鹿が嫌いだ。馬鹿とは仲良くしたくない。もちろん仕事が教師である以上、賢い生徒の相手だけをするというわけにもいかないのだが、そういう馬鹿との接触は仕事だから我慢できるのであり、実生活まで馬鹿の相手をしなければならないのならたまらない。自分が馬鹿という自覚のある方は、どうかオレに近づかないでもらいたい。残念ながら馬鹿というのはたいていそうした自覚すらないのである。
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