2014年09月25日(木) |
キミは「河豚(ふぐ)計画」を知ってるか? |
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1931年に満州事変が起き、日本は満州国を建国した。その満州国にユダヤ人居留区を建設し、ヨーロッパですでに迫害されていたユダヤ人を大量に受け入れようという計画、通称「河豚計画」という極秘プランが存在したことをどれだけの日本人が知ってるだろうか。もしもこの計画が実現していれば世界の歴史は大きく変わっていただろう。もしかしたら太平洋戦争が起きなかったかも知れないのである。あの時、日本はアメリカと戦う必要などなかったのだ。
杉原千畝の発行したビザで、シベリア鉄道経由で多くの難民が満州国とロシアの国境にやってきた。1938年3月、ユダヤ人18名がナチスの迫害下から逃れるため、ソ連〜満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道・オトポール駅(現在のザバイカリスク駅)まで避難していた。しかし、彼らは亡命先に到達するために通らなければならない満州国の外交部が入国の許可を渋り、足止めされていた。樋口季一郎中将はこの惨状に見かねて、ユダヤ人に対し、直属の部下であった河村愛三少佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、更に膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行ったという。その後も難民はどんどんやってきた。
彼らは満州や日本を経由して亡命先へと旅だっていったわけだが。もしも満州に居住区を建設し、そこを安住の地にしていればどうだっただろうか。満州国の建国精神「五族共和」にユダヤ人を加えて「六族共和」とし、そこに多くの投資を呼び込めば逆に世界のどの国も満州国に手出しできなくなったのではないか。
日本はドイツと同盟を結んでいたわけだが、そのことで極東地域で何かメリットがあったのか? そんなもの何もないのである。ドイツと同盟を結んでいたからこそ、ABCD包囲網で攻められ、原油の禁輸などの制裁を受けたのである。日本がすべきことは国際連盟を脱退することではなく、国連で却下された人種平等宣言の精神に基づいてヨーロッパでのユダヤ人迫害に対してその非を訴えることではなかったのか。そして武士道の「義」の精神で、その難民を満州国ですべて受け入れて、そこにユダヤ人の国を作ることを認めればよかったのである。
満州国経由で多くのユダヤ人が亡命することを助けた樋口季一郎中将はその後、北部軍管区司令官となり、アッツ島玉砕やキスカ島撤退戦に関わり、占守島の戦いでは8月18日に奇襲攻撃してきたソ連軍と交戦している。占守島の戦いで多くの死者が出たことからスターリンは樋口季一郎を戦犯として東京裁判に引き出すことを要求したが、全米ユダヤ人協会はそれを阻止するためにロビー活動を行ったために樋口季一郎中将は訴追されなかったという。樋口季一郎中将は戦後イスラエル建国功労者として「黄金の碑(ゴールデン・ブック)」に「偉大なる人道主義者 ゼネラル・ヒグチ」と名前が刻印され、その功績が永く顕彰されることになった。また、樋口が終戦前後まで指揮をとっていた部隊内では、捕虜の虐待や戦争犯罪とみなされる事件はただの一件も起きていないという。
ドイツでユダヤ人への迫害が起きていたとき、世界はそれを面と向かって非難しなかった。収容所で数百万と言われる多くのユダヤ人が殺された最たる原因は世界の無関心である。なぜそのときに日本は人道主義の立場を貫けなかったのか。オレは欧米人の語る「人道主義」なんてものは全く信じていない。アフリカから多くの黒人を奴隷として拉致し、日本の提唱した「人種平等宣言」を否決した連中の語るヒューマニズムなんてものはクソだ。
もしもこの「河豚計画」というものが実現していれば、世界の歴史は大きく変わっていて今の世の中は全く違ったものとなっていただろう。それは間違いない。世界の覇権を握る国家はアメリカでもロシアでもなく日本だったはずである。核兵器なんてものを必要としない真の世界平和が実現できていたはずである。
もしもあの時にもっともまともな人間が国家の舵取りを行えば、世界に向かって「義」を訴え、ヒトラーのユダヤ人迫害を強く非難し、アジア・アフリカの植民地の解放を推進する世界のリーダーとして日本という国家が君臨できる可能性があったのだ。その可能性に気づかず、無謀な戦争を指揮して自滅してしまった当時の無能な政治家や軍人どもは戦犯で死刑になって当然だ。ただ、彼らの罪は戦争で無辜の民が多く失われたことではなく、現代でもなお戦争や民族紛争がなくならないことに対する罪である。日本には世界を変えられる可能性があったのだ。
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