2014年09月29日(月) |
災害は忘れた頃にやってくる |
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自然災害は突然にやってくる。「まさか噴火するなんて思いませんでした」と御嶽山の噴火の時に登山者たちは思ったわけだが、火山性微動が10分前にあったこととか、数日前に多くの地震が記録されていたこととか、そうした情報は果たして共有されていたのだろうか。「噴火するかも知れない」という情報を流すことで観光客が減ることを恐れて地元側としてはそんなことを声高にアピールしたくなかっただろうし、もしもちょっとした地震まですべて報道すれば、火山国である日本は毎日のようにそうした報道が流れてかえって鈍感になってしまうかも知れない。
ただ、今回の「噴火するとは思わなかった」と、福島第一原発の「そんな大きな津波が来るなんて思わなかった」は同じである。火山が噴火することは日本では当然のことであり、過去にも巨大な噴火や爆発で多くの死者を出している。古くは磐梯山の大爆発、最近でも島原の雲仙岳の噴火に伴う火砕流など甚大な被害をもたらした災害は起きている。備えは常に必要なのだ。
そして、火山の噴火が与える影響と、津波で原発が破壊されることが与える影響を比べれば、人間が作り出した原発の方がはるかに大きな影響を社会生活に与えるのである。どちらの備えが大切かよくわかるだろう。
1896年の明治三陸地震では高さ38mの津波が発生した。福島原発を建設するに当たって、なぜその規模の地震を想定に入れなかったのか。事故というのは「偶然起きなかったらラッキー」というものではない。我々が自動車を運転するときにわざわざ任意保険に加入するのは、もしも事故が起きた時に備えるためである。津波に対する防御を想定しないで建設された福島第一原発は、保険に入らずに車を乗り回していたことと同じことであり、東京電力の経営陣は原発事故に対して責任があるとオレは断言する。国家に与えた損害を思えば彼らは全員終身刑が相当だ。大企業のトップというのはそれだけ責任が重いのである。将来のことを予測できずに舵取りを誤って、プラズマ工場に巨額投資をして松下電器を赤字で崩壊させた馬鹿がそのまま会長の座に君臨していることを思えば、なんて日本は甘い国かとオレは思ってしまうのだ。
今、原発がすべて停止しているのはしごく当然のことである。日本が地震国で有り火山国であることを思えば、このまま動かさずに全部撤去した方がいい。だったらいち早く天然ガスや石炭で火力発電する方向にシフトしないといけない。それなのに古い設備の火力発電所を無理に動かしているばかりで、当の電力会社が大型の火力発電所を建設することに対して及び腰である。原発が再稼働できればその必要がないと考えてるからである。迅速に行動できない企業トップなどいらない。その間に神戸製鋼所やJXが火力発電所を作って、将来の安定収益の柱と位置づけてるじゃないか。しかし、電力会社のような半官半民の企業に賢い企業トップがいないのも仕方がないのかも知れない。そこには競争がなく、倒産がないからだ。
大災害は突然やってくる。大規模な地殻変動で地球上のすべての原発が破壊されるような事態になれば人類は滅亡するだろう。我々の文明はそうしたリスクの上に存在するのである。今の状況が未来永劫続くものではないのだ。
今回の御嶽山の悲劇は、そこがロープウェイなどの整備で「初心者にも登りやすい3000m級の高山」であったことも関係している。3時間ほどで登れる山で、そんな危険が存在するなんて誰も思わなかっただろう。軽いハイキングの感覚で登っていた多くの方たちが火砕流に飲み込まれ、一瞬にして火山灰に埋もれてしまった。噴火の瞬間に火口付近にいた方々の恐怖は想像を絶するものだっただろう。噴火翌日の29日朝にはまだ行方不明者の正確な数も把握できていない状況である。
リニア新幹線を作ったとして、それが大規模な地震に耐えられるのか? 答えは否である。山陽新幹線が阪神大震災で死者を出さなかったのは、たまたま運行していない時間帯だったという僥倖に支えられたものである。もしも新幹線走行中に高架橋が崩落していたら大惨事が起きていただろう。
災害は忘れたことにやってくる。そして日本は自然災害の国である。我々は常にリスクの上で綱渡りのような日常を築いているということを忘れてはならない。
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