江草 乗の言いたい放題
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2014年09月21日(日) 中学校選択制について考える        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan



 橋下市長は進学先の公立中学校を自由に選べるようにして、学校間を競争させようというプランをお持ちらしい。そうすることで、学校間競争を盛んにして学力UPをはかろうということである。確かにすべての中学生が「がんばって勉強したい」「少しでもレベルの高い中学に入りたい」と思っているのならば、そういうやり方はうまくいくかも知れない。しかし、中学生の中にはおよそ勉強とは無縁の世界暮らしているいわゆる「ツッパリ」という生徒たちもいる。そういう生徒に勉強させるのはかなり困難なことである。彼らの中には、勉強して少しでもいい大学に入って就職して・・・という価値観など全く持たない者も多いからだ。

 私立中学・高校の多くは進学実績を売り物にしていて、それを生徒募集の重要なツールとして利用している。東大や京大に何人進学させたかというのは、高校のレベルをはかるモノサシとしてわかりやすい客観的な評価である。一方公立高校は、トップレベルの一部の高校は進学実績を競い合ってるが、大多数の普通の公立高校は「楽しく学園生活を過ごす」ためのパラダイスとなっている。高校受験するときは、自分の目的に合った学校を選んだらいいのだ。

 住む地域によって進学先が決まっている公立中学の場合、学校の個性というのはその中学の立地する地域によって決定されることが多い。金持ちの子弟がたくさん住む地域では当然のことながら教育にきちんとゼニをかけてもらえる生徒が多くなるし、低所得者の居住地域を学区内に含む中学校には、親がヤクザとかアル中で一日中ギャンブルばかりしているという生徒が通ってくることになる。橋下市長はそうした学区制をとっぱらって中学も自由に選べるようにしようとしているのだ。するとどんなことが起きるのだろうか。極端に人気のある中学とそうではない中学に分かれてしまうだろう。貧民街に住む生徒も、なぜか金持ち地域にある学校に行きたがるからである。

 私立なら、制服が違うし宗教が違うし、校風が違う。そこに選択の基準があるわけだが、公立はそこまで極端に個性を打ち出せない。よしんば個性を出そうとしても、考えたら先生方は同じ学校で30年勤めるわけではなく転勤してぐるぐる回っていくわけで、そうなるとある特定のタイプの先生を一校に集めて個性を打ち出すなんてこともできないわけだ。公立高校や中学の転勤のシステムは、教員のレベルを平準化する方向に機能しているわけで、たとえば生徒の進学実績を上げようとして必死で努力していたオレに対して、誰も大学に進学しないような偏差値の低い生徒の集まる学校に「転勤しろ」と辞令を出してくるのである。オレが公立高校を辞めたのはそういう理由だ。

 公立学校の最大の問題点はやはり、あらゆる階層の生徒がそこにいるということなのだ。勉強したい生徒もいればしたくない生徒もいる。そして親のレベルも極端だ。子どもにきちっと勉強させたいと思ってる親もいれば、行事の時にわざと自分の刺青を見せびらかして肩で風を切り、小学生の子どもまで金髪に染めてるような親もいる。給食費を踏み倒し、くだらないことで因縁を付けて教師を土下座させようとするようなモンペたちもいるのだ。公立中学校に選択制を導入するのなら、そういう親や生徒を一校にまとめることはできないものだろうか。髪型も自由、校則もなく、極端な話だが飲酒や喫煙も黙認という中学校を各区に一校ずつ設置するのだ。いわゆる「ヤンキー」と呼ばれるアウトロー中学生たちを一校に隔離して、そういう生徒は全員そこに通ってもらうのである。普通の中学校には普通の中学生だけを通わせてそこを学びのための場所として守り抜き、勉強になじまない生徒はすべて「ヤンキー中学(仮称)」に隔離してしまうのだ。守らないといけないのはヤンキーどもの自由な学園生活ではなくて、まじめに勉強する普通の中学生の生活である。その妨害をする存在であるヤンキーどもを一校に隔離すれば公立中学が抱える多くの問題は一気に解決するだろう。

 中学校で発生するひどいいじめ事件は、ヤンキーどもが普通の中学校でのさばってることから起きるのである。両者はきちんと分離しないといけないのだ。滋賀県の大津で起きたいじめ事件にしても、加害者の連中は明らかにまっとうな中学生じゃないとわかる雰囲気を漂わせている。なぜそういう連中を入れる「ヤンキー中学」が日本にはないのか。オーストラリアでは問題児ばかりを隔離する学校があるという。日本でも学校選択制を導入するならばそのようにすべきなのだ。高校ではある程度学力でふるい分けられるので棲み分けができるのだが。中学ではそうもいかない。だから悲劇が生まれるのである。ヤンキー中学では勉強など最低限のことだけでいい。そこは教育機関ではなくて矯正機関である。まず「まっとうな人間」になれることを目指すのだ。

 こんなプランを示すと多くの人が「そんな学校に誰も行きたがらない」と考えるだろう。それはヤンキーどもの思考回路を理解していないのである。彼らは逆にヤンキー中学に入れることを一つのステイタスと考え、そこを自己実現の場ととらえる可能性が高い。だってそこには筋金入りの不良どもが集まってるのである。自分と同じような極道中学生とどんどん交流できるのだ。それはツッパリたちが変な髪型をして、変な制服を着て自己主張していることを見ればよくわかる。彼らは目立ちたいのである。だったら一番目立つのは、そういうエリートヤンキーを集めた学校に入ってそこで目立つことなんだと思わせればいいのだ。

学校自由選択制について極論を書いてみたが、オレの言いたいことはどうせやるならとことん個性的な学校をそろえて、その中で自由に選ばせろと言うことである。金太郎飴みたいな学校ばかり作っても意味がないのである。

 


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