2014年01月17日(金) |
震災から19年〜神戸商船大の奇跡を忘れるな |
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今から19年前の1月17日の朝、オレはこれまで体験したことのないような激しい揺れで目を覚ました。揺れがおさまるまでオレは「このまま家が崩れて押しつぶされて死ぬんだろうか」という恐怖を味わっていた。揺れていたのはわずか1分足らずほどの時間なのだが、それは永遠のように長く感じられたのだった。隣室では生まれて半年の長男がベビーベッドに寝かせられていた。
その時にその揺れを体験した者なら、それが大変な被害をもたらすに違いないことは容易に想像できただろう。しかし神戸市民にとって不幸だったことは、そのときの県知事というのは貝原俊民というかなり情けないオッサンだったことである。彼は震災の朝もいつもと同じように公用車が自宅に迎えに来るのを待っていた。交通が寸断されてとてもクルマが走れるような状況ではなかったのに家でのんびりと待っていたのである。なぜスニーカーに履き替えて徒歩30分の県庁に急がなかったのか。すぐに自衛隊の出動要請をしなかったのか。自分の目で被災状況を確認しなかったのか。オレのようなまともな人間には究極の馬鹿の考えてることはとうてい理解不能である。(ただもっと理解不能なのは、救助の遅れのために多くの犠牲者を増やしたことに関して、貝原俊民がほとんど責任を感じていないことなのだが。)
当時、自衛隊は知事の派遣要請に基づいて行動することになっていた。10時になってやっと県庁に出勤した知事に知らされた情報は、死者4名ということだったらしい。自分の目で街を見ればその程度の災害じゃないことくらい馬鹿でもわかるだろう。貝原俊民は県庁まで行く車の中で目をつぶって瞑想にでもふけっていたのだろうか。
神戸市東灘区の海岸部にある神戸商船大(今は神戸大学海事科学部)の学生寮も激しい揺れに襲われた。当時、その学生寮である白鴎寮には250人の寮生が暮らしていた。震度7の揺れを体験していながら、築40年のしっかりとした鉄筋コンクリート寮の建物にはたいした被害もなく、寮生たちは全員無事であった。寮の自治会長であった有田俊晃さんはすぐに暗闇の中庭に寮生を集合させて無事を確認し、周辺の被害を冷静に確認したあと寮生全員に救援活動に当たらせたのである。学生たちは全員が作業服に着替え、軍手や防寒服を装備して数人ずつの班に分かれて行動した。商船大の学生には航海実習もある。集団での訓練を日頃受けていた彼らは集団でのこうした行動に慣れていたのである。
もちろん重機もない中、手作業で倒壊家屋から埋もれた人を救い出すのはどれほど困難なことだっただろうか。有田さんは学生を組織して活動内容や役割分担を決め、組織的に行動してどんどん倒壊家屋の下敷きになった人々を救出した。近隣2キロ四方に埋もれた100人以上の人々が、商船大の寮生たちの活躍によって救出されたという。訓練によって鍛えられた若者たちは、その英雄的な行動によって多くの人たちの生命を救ったのである。しかしその動機は「日頃お世話になっている近所の人たちを助けたい」という素朴なものだった。避難所に指定された白鴎寮には次々と周辺住民が避難してくる。その中には家屋の下敷きになった家族を残した者もいた。寮からは救援のために学生たちがチームを組んで出動した。もしも彼らの活躍がなかったらどれほど犠牲者は増えていたことだろうか。
震災の後に起きた大火災のために迫り来る炎の中で、家の下敷きになって逃げられない状態で家族に向かって「お父さんはいいからおまえたちだけでも逃げろ」と遺言を残して亡くなった父もいただろう。たまたまその日に遠くへ出張していて神戸にいた家族全員を一度になくした人もいただろう。大災害は一度起きれば取り返しのつかない被害をもたらす。しかし起きてしまった後に一番頼りになるのは遠くからやってくるかも知れない自衛隊ではなく、近所に住む人々なのである。犬の散歩をさせたり、指定された日にゴミ出しをしたりするときに顔を合わせるご近所さんがお互い助け合うことがもっとも大切だ。ただその行動にはリーダーが必要である。神戸商船大の学生寮で自治会長の有田さんが指揮をとったように、たとえ十数人の集団でもそれをまとめて的確な指示を行うリーダーが必要だ。我々の地域社会はそうした人材を確保できているだろうか。
震災直後の寮生の安否を確認してすぐに行動を起こした神戸商船大の有田さんと、迎えの車が来るのをのんびりと待っていた貝原知事、どちらがよりすぐれたリーダーの資質を備えているかはもはや言うまでもないだろう。そして我々の社会はなぜか上に行くほど凡庸な人間が増えてくるのである。衆参両院の議員たちがボンクラ揃いであることを見れば納得がいくだろう。目の前にある政治上の諸問題に対していつまでも答えを出せず、福島の惨状を見ながら原発をどうするのかを決められず、選挙でいつも問題になる一票の不均衡をいつまでも解消できない「何も決められない集団」が国会議員という税金泥棒たちなのである。
阪神・淡路大震災で得た教訓を我々はきちっと活かせているだろうか。東日本大震災の時、かつての経験はどれほど役だったのだろうか。津波で流されて無くなった家に対して今もローンを払い続けてる人がいるわけで、阪神淡路大震災で多くの人々を苦しめた二重ローンの問題は結局そのまま解決していないのである。真に守られるべきモノは金融機関の利益ではなくて被災した弱者の生活ではないのか。
神戸の震災復興に名を借りた行政による地上げや区画整理は地域コミュニティを崩壊させ、復興住宅では多くの被災者が孤独死した。同じことが東日本大震災でも起きるのだとしたら、我々は結局19年前の大災害から何も学ばなかったことになる。あれだけ多くの犠牲を払いながら何も学べなかったというのはあまりにも情けない話である。
あれから19年、そして東日本大震災からはもうすぐ3年になる。消防団でも自衛隊でもない若者たちが組織的に行動して家屋の下敷きになった多くの人たちを救った神戸商船大の奇跡を我々は語り伝えないといけない。大災害はいついかなる時にやってくるかわからない。自分が助かることしか考えない者たちも当然いるだろう。しかしその時に勇気ある誰かが最善の行動を取ることができれば、多くの人の命を救うことができる可能性がある。そのことを我々は常に忘れてはならない。
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