2013年12月18日(水) |
すべての教員を正規雇用にせよ |
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学校現場には多くの非正規雇用の教員がいる。非常勤講師、専任講師、期限付き講師、産休講師など名称はさまざまだが基本的に「教諭」とは違った給与体系になっている。これは公立私立を問わず、ほとんどすべての学校でそうなっているのである。
昔オレが公立高校に勤務していた頃、オレが所属する国語科でも数人の非常勤講師が雇用されていて、特定の曜日だけ出勤して授業を担当していた。もしもお休みの日に生徒がその先生に質問しに来ても「今日は来ていないから」と断るしかなかったのである。これは生徒の学習機会を奪っていたのではないだろうか。
「教える」という行為にはさまざまなスキルを必要とする。通常のアルバイトの感覚で考えることはできない。1時間の授業をするためには予習したりプリントを作ったり、またその時間に実施した小テストを採点したりと準備やその後の作業で何倍もの時間を使ってることになる。それでも非常勤講師の報酬は、授業1時間当たりいくらという形で支払われる。大阪府の場合、台風で休講になったりすればその時間給はカットされる。夏休みも非常勤講師の方には給料が出ないので、その期間は生活のために他のアルバイトをしないといけない場合もある。教師の世界で非正規雇用の立場にある者は常にワーキングプアの状態におかれているのである。
確かに一度教諭として採用してしまえばその身分は定年まで保証しないといけない。問題があるとわかっても簡単に解雇できない。2012年度に懲戒免職になった教員は200人を超えたわけだが、日本中の教員の数から考えれば微々たるものである。その中で強制わいせつなどの破廉恥犯に該当する者は119名だが、これも国民全体の犯罪率からみればきわめて少ない数字である。実際にはなかなか教諭のクビは切れないのである。指導力不足の教師、専門教科に関する知識が欠けていたり、社会的常識の欠如した教師もそれだけが理由で解雇はできない。
しかし、
教諭として採用することのハードルを上げる=非正規雇用を増やす
ではないとオレは思うのだ。ハードルを上げるのは大事だが、非正規雇用はできるだけ減らす方向、できればなくす方向で行くべきである。それは教育というのが国家にとって大切な事業であり、できればその職務に専念させたいからである。
女性の産休講師の方は採用に当たって必ずこう言われるそうだ。「子ども作らないでください」「妊娠しないでください」これはおかしくないか。女性にとって出産することは権利の一つであり、誰もそれを禁止することはできないはずである。誰かが産休を取る場合、必ずその学校には産休講師が派遣される。誰かが産休を取るという権利を守るために、誰かは出産するという権利を奪われるのだ。こんな理不尽なことがあるだろうか。誰かを犠牲にしないと権利が守れないという仕組みがそもそも間違ってるのではないだろうか。
教員の定数というのは常にクラス数×時間数で算出される必要時間数を上回った状態で配当されなければならないとオレは思っている。それが足りないならば非常勤講師で補ってコスト減をはかるのではなくて、最初から教諭の定員を増やして対処すべきであり、必要ならば都道府県の教育委員会はどの学校にも所属しない遊軍の教諭を常に確保しておいて、産休や病欠による長期休暇などが発生した場合にすぐに派遣できるようにすべきであるとオレは考えるのだ。
生徒からみればどの先生も等しくすべてが「先生」である。しかし先生の世界では教諭と講師の間には大きな差が存在する。生徒はその状況をどのように感じるだろうか。自分たちが習ってるのが教諭ではなくて講師であるということをどのように受け止めるだろうか。教諭の方が講師よりも教え方が上手であるとは限らない。長年非常勤講師としていろんな学校を渡り歩きながら高いレベルの教え方のスキルを身につけた方もいるだろう。しかしその結果として年齢が高くなればますます教諭として採用される可能性は低くなる。たいていの都道府県は教員採用試験に年齢制限を課している。
橋下大阪市長は「生徒の集まらない高校は募集停止する」と宣言した。これは高校の数をどんどん減らして教員をリストラすることを明言しているようなものである。しかし大阪府の教育レベルは果たして教員削減しても守れるのだろうか。近畿圏の教員採用試験の志願者が大阪以外を併願する場合、大阪とダブル合格した場合は待遇の悪い大阪を必ず蹴るそうだ。その結果大阪府・大阪市の教員採用試験の実質競争率はかなり低下している。いい人材を選ぼうにも、最初から集まっていないのである。なぜこんなことになったのか。教員という世界がブラック企業化していて、仕事が片付かないので夜遅くまで学校に残り、時にはモンスターペアレントの攻撃にさらされ、ひとたびいじめ事件が起きればマスコミにたたかれるというふうにストレスにさらされ続ける職場であることを多くの人が知っているからである。
今学校を取り巻く問題は数多くある。小学校で英語を必修にしようというアメリカの顔色をうかがったような方針も打ち出されているし、東京都のように生活保護世帯に塾代を補助している自治体もある。これでは学校教育が信頼されていないのと同じである。大学生の学力不足の原因は小学校時に学習の積み残しをしたまま再履修の機会がなかったからである。分数の計算ができないまま、九九を覚えないままに大学受験を迎え、そして定員割れで全員入学してしまうからとんでもない低学力の学生が生み出されてしまう。
教育は国の根本を支える部分である。きちっとした教育を受け、学力や生活能力を身につけるからこそ社会に出て自力でやっていけるのである。「社会人になる以上、最低限でもこれくらいは知っていて欲しい」というレベルが義務教育終了レベルであり、多くの大学生がそのレベルに到達できていない以上、小学校中学校の教育により多くの予算、人員を配分して改善することは急務であるとオレは考えるのだ。それなのに自民党もどこかの61億円を惜しむ田舎政党も教育の世界で大幅なリストラを推し進めようとしている。そんな未来を見通せない集団はもはや命運は尽きたことを自覚してさっさと解散すべきだろう。江田憲司にでも拾ってもらえよ。
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