2013年12月05日(木) |
高速道路に盗難自転車を投げ落とすこと |
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10月に中国自動車道で、高架橋から深夜に自転車が投げ込まれ、通行中のトラックなどに衝突するという事件があった。兵庫県警はその無差別テロを行った少年4人を検挙してして「殺人未遂」容疑で取り調べているという。今回の事件を「器物損壊」ではなくあえて「殺人未遂」という判断を下した兵庫県警をとりあえずは評価したい。もっとも地裁レベルで馬鹿裁判官がクソみたいな判断をしてせっかくの兵庫県警の判断を台無しにしてしまう可能性も十分あるのだが。
オレは「面白半分に人を殺す」という行為を断じて許せない。最終的に被害者を自殺に追い込むいじめ殺人が許せないのと同様に、全くなんの関係もない第三者を「軽い気持ち」で「ふざけ半分」で殺そうとする行為は絶対に看過できない。そうした行為が行えるような人間はクズそのものであり、そのような行為を行ったものは即座に死刑執行すべきである。たとえそれが少年であっても無関係だ。どうせ長生きしても他人に迷惑をかけるだけのクソだ。そんなクズに更生の機会など不要である。
逮捕された4人の少年のうち2人は「殺意はなかった」と主張し、一人は「やってない」と否認してるという。オレは中国の警察が自白を強要するための拷問や暴行を日常とすることは間違ってると思うが、こういうクソガキどもに対してはじゃんじゃんぶん殴って締め上げてくれよと思うのである。「中国道」で起きた事件だから「中国警察」に取り調べをおまかせしたい気分である。自分たちのやった罪の重さもわからずに遊び半分でそんな危険なことができるクソ野郎どもは死ぬほどぶん殴られるべきだ。
もしも時速100キロ程度で走行しているとき、クルマの上の空中から自転車が降ってきて、フロントガラスをぶち抜いたらオレは死ぬ可能性が高い。それを回避できる自信はないし、そんなことを想像して運転したことは一度もない。歩行者や自転車の存在を気にしなくていいから高速道路は安全に走れるのであり、いくら山間部にあっても熊や鹿やイノシシが侵入してくるような構造ではあってはならないのである。
もしかしたら人が死ぬかもしれないようないたずらを軽い気持ちでやる・・・
ここまで想像力が欠如した「馬鹿」を日本社会は許容していいのか。オレは時々感じるのである。馬鹿すぎることは一つの罪であると。馬鹿すぎるというだけで死刑にしても良い場合さえあると思う。なんでこんな馬鹿なことができるのかという奴らが時に存在する。その馬鹿は時に不特定多数を大きな危険に追い込んでしまうのである。
もちろん、「おまえは馬鹿だから死刑」というのは暴論に聞こえるだろう。この文脈だけを取り出されて、オレが「馬鹿はみんな殺せ」と主張してるとどこかの日本語も満足に理解できない馬鹿に批判されるかも知れない。だからオレは慎重に言葉を選びたい。オレがここで定義する「馬鹿」というのは一般的な意味ではなく、その行為の結果誰かを死に至らしめるかも知れないことを深い考えもなく安易に行えるような人間のことである。そのようなヤツをオレはあえて「真の馬鹿」と呼びたい。そして結果の如何に関わらず、つまりその結果人が死んだか死んでないかに関わらずそのテロ行為を理由に死刑執行することで市民社会の安寧秩序を守るべきだと言いたいのだ。
小学校教育の目的とは何か。それは英語教育=グローバル化と勘違いして、挨拶に毛の生えたレベルの英会話を教え込むことでも、分数や小数の計算、割り算もろくにできないままの子どもを大量生産することでもない。また道徳教育と歪んだ愛国教育をごっちゃにして君が代を歌わせることでもない。まっとうな倫理観を身につけさせ、日本古来の武士道精神に基づく思いやりや正義感を養うことである。なぜ嘘をつくことやいじめがいけないのか。それは「卑怯」だからである。他者への思いやりと寛容の精神を身につけ、その上で悪を絶対に許さないという強い倫理観をすべての日本国民に持たせることが小学校教育の目指すべきところではないのか。それができていないから痛ましいいじめ事件や成人後の無差別テロ、ストーカー殺人を起こすのではないのか。
その小学校教育の目的の一つに「真の馬鹿撲滅」という項目をせひ追加してもらいたい。まっとうな市民としての常識を身につけた大人とは、オレが主張する「真の馬鹿」の対極にある存在である。教育というのは自己実現という目的がある一方で、その人間を社会に迷惑を掛けずに協調できる存在とすることもまた大きな目的であるとオレは考える。この両輪こそが教育の本義であるが、前者ばかりが強調されたからいびつで自分勝手なエリートが生み出されてしまうのだ。
馬鹿すぎることは周囲に迷惑をかける。酸素吸入中にタバコを吸おうとして火をつけるとか、温度が高くて内圧が上昇したガソリン缶のふたを不用意にあけて中味をそこら中に噴出させるとか、密室でシンナー遊び中にライターでふざけるとか、そんな馬鹿の行為に巻き込まれて大やけどしたり命を落としたりすることがどれほど理不尽なことか。オレが小中学校で教えて欲しいことは、高度な勉強よりも社会人としてのまっとうな常識なのだ。ロト6の当たり番号に対して情報料を払ってしまうような馬鹿や、ナイジェリア人にだまされて覚醒剤の運び屋をしてしまうような馬鹿にならないように教育しないといけないのである。
今回の自転車投げ落としでは幸いなことに死者が出たわけではない。しかしここで裁判官は「死者も出てないことだから保護観察処分」などといいうたわけた決着を付けないでもらいたいのである。事故が起きて人が死ぬということにならなかったのはただ単に運が良かっただけである。投げ落とし行為自体がとてつもなく危険で許しがたい行為であるということを世間に広く理解させるためにも、この4少年に対してはオレは死刑を望むのである。こんなクソみたいな少年どもはどうせろくでもないやつらに決まってるのである。どうせ親にも学校にも迷惑をかけてる札付きのクソ野郎どもであるとオレは確信する。「
殺人未遂だが、大量殺人につながっていてもおかしくないほどの悪質な行為だから死刑相当」というふうに裁判官は正しい裁きを下してもらいたい。
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