2013年10月03日(木) |
自殺志願者を命を賭けて救えるのか・・・ |
携帯用URL
| |
|
どうかお読みになる前に←応援のクリックをお願いします! m(_ _)m
JR横浜線鴨居―中山駅間の川和踏切(横浜市緑区)で、線路でうずくまっていた高齢男性を助けようとした会社員の村田奈津恵さん(40)が死亡する事故が2013年10月1日11時30分ごろに起きた。電車が目の前に接近してるのに、そして「間に合わない」と父親が制止したのに救助に向かって命を落としたその行動に対してオレは複雑な思いを抱く。
その理由は、助けられた高齢者男性が自分の意志で線路内に入り、電車にひかれようとしてうずくまっていたと考えられることである。新聞記事などではそのことに触れていないのだが、状況からみてその可能性はきわめて高い。不注意や過失で線路内に取り残された人を救うのと、自分の意志で線路内に入った人をその意志に反して救うのとはかなり意味が違うのである。
ただ、はねられた村田さんは目の前の男性が鉄道自殺しようとしてるのがわかったはずだ。それでもなお、見過ごすことができなかったわけである。そのような行動を誰もがとれるわけではない。父親の制止を振り切っても救助に向かった勇気ある行動を称賛して、「自分ならできただろうか」とインターネット上で反響が広がっているという。「助けなきゃならない」という信念に基づく行動であり、父親もそれもとめることはできなかったのである。
もしもオレがその場にいたならば、「もう間に合わない」とあきらめただろうか。もしもその場に自分が居合わせたらどういう行動をとったか。
助かったこの高齢男性は自分を助けた結果、村田さんが亡くなったことに対してどんな思いを抱くのだろうか。もしもオレが村田さんの父親の立場ならば、きっとその高齢男性に対して「おまえのせいで娘は死んだんだ・・・」と怒りをぶつけてしまうかも知れない。しかし村田さんの父親のことばは、「おじいさんが助かってよかった」だった。その娘にしてその親ありである。
他者の命を軽視して乱暴な運転を繰り返す若者がいる。無差別殺人を行ったり、市民に対するテロを行う組織もある。命がおどろくほど軽く、死が日常である土地は世界にいくらでもある。日本のような安全な国はむしろ少数派なのかも知れない。
その日本でさえも自殺者が年間3万人もいるという。なぜ自ら命を絶ってしまうのか。この世には「生きたい」と必死で願いながらそれが果たせない無数の人々がいるのに、その貴重な生を簡単に捨てようとする人もいる。その矛盾に対してオレは答えを持てない。世の不条理をただ受け止めるだけである。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館