2013年09月30日(月) |
維新ブームの終焉と日本の未来 |
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自民、民主に代わる第三勢力として登場した橋下徹大阪市長は誰と組むべきだったのか。彼は石原慎太郎氏の太陽の党を連携相手にし、その結果「脱原発」という看板を下ろした。衆院選、参院選と続く流れの中で維新の党が衰退していったのは、内部に抱える矛盾みたいなもの、寄せ集めの烏合の衆であることが露呈していったからではないだろうか。もしもそのときに渡辺氏の「みんなの党」と組んでいれば、全く違った政治状況になったと思うのである。少なくとも参院選で自民党をこんなに一人勝ちさせることはなかっただろう。
堺市長選挙は現職の竹山氏の勝利に終わった。竹山氏はもとは橋下氏の陣営にいたのに、堺市長になってから橋下氏を裏切ったわけである。一国一城の主となってから独立してしまったわけである。政治というのはやはりなんでもありの世界なんだと思うし、信義みたいなものを妙に意識してしまうオレから見ればかなりの違和感があるのだが、政治家は生き残るためにみんな必死なんだろう。
大阪市に導入された公募制の区長や、公募制の校長が次々とトラブルを起こしている。公募制自体が悪いとは思わないし、きちっと仕事ができている人もいるわけでこれはシステムの問題ではなくてあくまで人の問題である。保護者に対してセクハラ行為のあった校長はさすがにどうかと思うし、それを懲戒解雇できないのもオレには納得できない状況である。
そもそも維新ブームが起きたのは、民主党の政治があまりに悪かったからであり、その閉塞状況を打ち砕きたいという国民感情に合致していた。2012年12月の衆院選で維新が多くの議席を獲得できたのは、民主が大敗したからでもある。維新がそこからさらに勢力を伸ばすためには自民党が失政をやらかすことが必要であった。しかし、経済再生を掲げたアベノミクスは金融緩和を柱に円安・株高の流れを生み出し、失政どころか安倍晋三総理の評価はどんどん高まることとなった。そして東京五輪招致の成功というビッグニュースのおかげで消費税値上げという国民の反発が大きな政策も推進できそうなムードにこぎつけた。この時点で維新はもはやその存在意義を失ったのかも知れない。
維新は「大胆な規制緩和」を軸にして経済再生を進めようとしていた。規制緩和ということは、既得権益の打破でもある。しかし、現在の自民党政権下で景気が良くなることは、既得権益者の利益をますます増やすことでもある。現に「国土強靱化」などという名目で公共事業費はこれからまた増えていくだろうし、田舎にゼニをばらまく仕組みも不変である。日本の農業がこれから壊滅するのはTPPのせいではなく、後継者不足である。減反政策や収入の保証の仕組みがある結果、働かなくてもゼニがもらえるという独特の構造があった。既得権益でしっかり守られてきたのは他でもない日本の農業である。安倍晋三がTPPを受け入れるのは、もはや日本の農業は終わったと理解してるからに他ならない。
日本はこれからどんな国になればいいのか。
若者は海外に出て行く意欲を失い、日本から欧米に留学する学生の数は中国や韓国に遠く及ばない。大学の数は増えるのに人口は減っている。ニートや非正規雇用が増え、国民はどんどん貧しくなっていく。この国は着実に滅びに向かっているとオレはやはり感じる。
オレの住む大阪でさえも、シャッター通りになった商店街やいつまでも入居者のない空きテナント、ロー-ドサイドにある大型店の廃墟などを数多く目にする。そこでは景気はやはり「悪い」のである。
空き室だらけになってる交通の便の悪い地域の公営住宅の家賃を思い切って下げれば、そこは低所得者が集まってスラム化し、治安が悪化するだろう。だからといって空き室のまま放置するのは政策として正しいのか。おそらく維新の政策なら、値下げしてスラム化することを選んだだろう。ここでそのまま放置するのが今の自民の政策である。
坂口安吾はその著書「堕落論」の中で、戦争未亡人が新たな恋愛をし、特攻隊帰りが闇屋となる世相を支持した。生きるために人は堕ちることが必要であると説いた。日本が真に再生するためには、安倍晋三が登場して中途半端に国民に夢を持たせるのではなく、もっと民主党政権が続いて堕ちきることが必要だったのかも知れない。
かつては景気の良かった大企業からの税収で潤っていて、ラスパイレス指数日本一だった堺市は、日本経済の衰退と共に借金自治体への道を歩むこととなった。今も「身の丈に合わない」さまざまな構造的矛盾を抱えながら滅びに突き進んでいる。中心街の堺東駅周辺はアーケードの下、シャッターを閉めた店が多数である。映画館もなくなり、かつての賑わいとはほど遠い。もはやこの街を堺市が自力で再生することは無理である。しかし、堺市民は竹山市長を再選させることで、このままゆるやかに滅んでゆくことを選択したのである。それもまた住民の自己決定権の行使である。国民から勤労の義務を奪い、ニートになって寄生する自由を与えたのは誰なのか。我々は戦後教育を再考する必要がある。
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