2013年09月19日(木) |
津波を予見できなかったことに責任はあるか? |
携帯用URL
| |
|
どうかお読みになる前に←応援のクリックをお願いします! m(_ _)m
海辺で大きな地震があれば津波が来る。これは大人なら当然考えないといけない常識である。ましてや学校や役所などでは「生徒や住民を安全に避難させる」という大切な役目があるわけで、そのことに対してうかつだったことで管理者が責任をとらされるのはある意味当然だと言える。日和山幼稚園の園児が、そのまま園にとどまっていれば無事だったのに、わざわざ海辺に向かう送迎バスに乗せられて津波の犠牲になった事故で、裁判所は園に対して賠償を命じた。オレは当初は「予見不可能な大津波だから・・・」と思っていたが、少なくとも教育機関にはそれを想定しなければならない義務があった。釜石市のように地域の学校に対して防災教育をきちっと行っていたところで犠牲者が出なかったことを思えばやはり学校などの教育機関には「安全に避難させる」という義務があるのだ。
1983年の日本海中部地震の時、秋田県男鹿市の加茂青砂では、遠足で訪れていた北秋田郡合川町(現在の北秋田市)立合川南小学校の児童43人と引率教諭たちが津波に襲われた。多くは漁船や付近の女性などに救出されたが、児童13人が死亡した。なぜ地震が起きた直後に必死で海から離れて高台に逃げなかったのだろうか。ここでも「地震があれば津波が来る」という大切な知識が引率教諭たちに欠けていたのである。
東京電力には原発を100%安全に稼働させる義務がある。高さ11mの防潮堤を造るかどうかという問題で「造らない」という判断をした経営陣は、そこで「造らなくても大丈夫」という判断を下したわけで、「もしも大津波が来て原発が壊れれば責任を取る」のがオレの考える常識であり、裁判所は少なくとも「業務上の過失」を認定するべきだった。武士道精神の国、日本では勝俣会長は切腹してお詫びするのが責任の示し方だとオレは思うのである。まあ切腹は極端でも、なんらかの刑事罰を受けることで少なくとも世間に対する「お詫び」は認定される。それが「無罪」を主張してる時点でただの無責任なクソ野郎だとオレは感じるのである。おまえがボンクラだったからこういうことになったんだろうが!過去に実際に起きてる大津波が自分の生きてる間は絶対に来ないと勝手に判断して建設にかかるゼニをケチっていた時点でただのクソ野郎である。
もう一つオレが気になることなんだが、「日本海側には大きな津波はない」という変な自信はなぜ生まれたのだろうか。関西電力が若狭湾に面した福井県に持つ多くの原発は、もしも大津波が押し寄せれば一気に壊滅する。過去の歴史をさかのぼって最大の津波を検証するだけでは不十分であり、それこそ「高さ20mの津波にも耐えられる」ような安全対策をするか、それが無理なら原発から撤退するという選択肢を取るべきなのだ。
大きな自然災害は必ず起きる。我々は常にその備えを怠ってはならないのである。安全対策というのはその想定される危険のかなり手前のところで立てておくべきなのだ。そうでないと事態は常に我々の想定を超えているからだ。
自然の猛威の前には人間はあまりにも無力な存在である。台風の風雨には耐えられても、竜巻が発生すれば木造住宅なんてひとたまりもなく破壊される。そして台風と違って竜巻は発生が全く予測できない。もしも「竜巻でも耐えられる家を・・・」なんてことになればどれだけ建設費が高騰するだろうか。オレは新聞で竜巻の被害の写真を見るたびに思うのである。「こんなのが来ればオレの家はひとたまりもないなあ」と。
何が来ても大丈夫だなんてことはありえない。大丈夫じゃないことを前提にして我々は行動しないといけない。自然災害と真正面から戦うのではなくて、逃げることを第一に考える。どうすれば自分の命、目の前の人の命を救えるかということを考えることが必要だ。津波に耐えられないのならば逃げるしかない。20mの津波に耐えられる原発を造れないのならば、そこから撤退するしかない。東京電力の勝俣会長にとって必要なのはその決断ではなかったか。その判断を誤ったことはやはり刑事責任を問われるべきではないのか。
津波はいつやってくるかわからない。それは2020年の東京オリンピックの最中かも知れない。選手村に津波が直撃したときにどうすればいいのか。そんなこと誰も考えてないだろう。高層階への避難くらいしか対処方法はない。地震や津波が起きるということを前提にして東京オリンピックの計画を立てないといけないのである。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館