2013年09月16日(月) |
おめでとうバレンティン日本新記録! |
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かつて日本のプロ野球の世界に王貞治という選手がいた。彼が後楽園球場というものすごく狭い球場で量産したフェンスぎりぎりの打球は、両翼が実測87.8mしかなかったということもあって当時のルールではホームランと判定され、その結果王貞治は年間55本のホームランを打つこととなった。もしも彼が生まれてくるのが30年遅く、現在の球場の広さで彼がプレイしていれば、たまにホームランを30本くらい打てる平凡な長距離打者に過ぎなかっただろう。しかし彼は日本プロ野球の盟主を自称する読売巨人軍の中心打者だった。そのため彼が作った記録はプロ野球の聖域とされ、かつて多くの打者がその「年間55本塁打」という記録の前に幾多の妨害を受け、敗れ去っていったのである。2001年のアレックス・カブレラも、2002年のタフィ・ローズも、その王貞治が監督をするソフトバンクの投手たちに対して「絶対に記録を超えさせてはならない」という厳命が極秘裏に下ったものとオレは憶測する。恥ずかしい敬遠四球が繰り返され、その結果として王貞治の記録は守られたのである。
後楽園球場のグランドは排水のために外野に向かって下向きに傾斜していた。打者はその外野に向かって「打ち下ろす」というスタイルだった。東京ドームができるまで使用された後楽園球場は、日本のプロ野球に使用された球場の中でもっともホームランの出やすい球場として誰もが認識していたのである。
そうして呪縛のようにプロ野球界を支配していた「55」の壁がついに破られる時がきた。今この瞬間、セリーグで一番弱い球団はどこか。それは阪神である。優勝の可能性がほぼ消滅し、3位とのゲーム差から考えてクライマックスシリーズへの出場はほぼ確定という「やる気の出ない」状況下でたびたび連敗を重ねる情けないチームが、相手打者にホームランを打たれないように必死でがんばるわけがないのである。今阪神でがんばってるのは藤浪晋太郎くんくらいなのだ。彼はバレンティンに打たれるのを阻止できたが、翌日に榎田はあっさりと連発をくらった。あっさりと連続ホームランを献上したのである。毎日新聞の記事を引用しよう。
ヤクルト:バレンティンが56、57号 プロ野球新更新毎日新聞 2013年09月15日 18時32分(最終更新 09月16日 00時43分)
プロ野球・ヤクルトのウラディミール・バレンティン外野手(29)が15日、阪神戦(神宮)の一回、榎田から左中間に今季56号となる2ラン本塁打を放ち、シーズン最多本塁打のプロ野球新記録を達成した。バレンティンは三回には2打席連続となる57号左越えソロ本塁打を放った。
バレンティンは11日の広島戦で55号を放ち、1964年の王貞治(巨人)、2001年のタフィー・ローズ(近鉄)、02年のアレックス・カブレラ(西武)の3人の最多記録に並んでいた。
バレンティンはオランダ・キュラソー島出身。米大リーグのマリナーズなどをへて、ヤクルト入団。1年目の11年、12年と2年連続でセ・リーグの本塁打王を獲得している。
バレンティンは2011年、2012年とヤクルト入団以来ずっとセリーグの本塁打王を獲得している。今季ももう確実である。当分の間彼はセリーグの本塁打王として君臨し続けるだろう。年俸が上がってヤクルトに払えなくなったらそのときはゼニのある巨人や阪神に移籍することだろう。それにしてもどうしてヤクルトは長距離打者を発掘して獲得するのが上手なんだろうか。かつてのホージー、ペタジーニ、ラミレスの活躍をうらやましく思ったのは、外人を獲得するという意味でほとんどが失敗に終わり、今季もコンラッドが全く役立たずだった阪神ファンのオレから見ればとてもうらやましいのである。
もしも2011年や2012年に、美津濃が中国から安く輸入した粗悪な統一球ではなくてまともなボールが使用されていればもっと早く年間55本の記録は破られていたかも知れない。その2年間は日本プロ野球の暗黒史として語り継がれることだろう。用具や球場の違いによって簡単に左右されるプロ野球の記録に、そもそも意味があるのだろうかとオレは根源的な疑問も感じるのである。
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