江草 乗の言いたい放題
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2013年05月27日(月) 乙武さんを入店拒否したレストランは正しいか?        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 乙武洋匡さんがイタリア料理店に入店を拒否されたことが話題になっている。これは2013年5月18日のことである。乙武さんが訪れた東京・銀座のイタリア料理店について、「車いすだからと入店拒否された。『車いすなら、事前に言っておくのが常識だ』『ほかのお客様の迷惑になる』―こんな経験は初めてだ」とツイートしたのがきっかけである。

 素朴な疑問なんだが、予約するときに彼は「乙武洋匡」と本名を名乗ったのだろうか。彼ほどの有名人を予約を受けた側が知らなかったのならばそれはあまりにもうかつすぎるのである。本名を名乗らずに、事前に何の情報も提供しないで予約したのならばそれは乙武さんに落ち度がある。その店が隠れ家的な店であり、雑居ビルの2階にあるということは乙武さんが予約する前にわかっていたはずである。エレベーターのない店ならば、階段を上がるのに介助が必要だ。介助のサポートができる人を連れて行くのでなければ、店が入店を介助できるかを先に確認すべきではないのか。「店が常に障害者に合わせて便宜を図るべきだ」と思うのは傲慢だとオレは思うのである。

 多くの人が暮らす社会で各人が共同生活を営むためには、自分が社会に合わせるようにすべきであり、社会が自分に合わせないといけないと決めつけるのは傲慢である。社会のルールやマナーというのはそうした必然から生まれたものではないのか。

 乙武さんはそのイタリア料理店の従業員に「下まで降りてきて抱えてほしい」と頼んだが、「忙しいから無理」「これがうちのスタイルなんでね」と入店を拒否されたとしている。「相手を小馬鹿にしたような態度」をとったという店主が「予約の時点で車いすって言っとくのが常識じゃないですか?」と話すのに対して、「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」と乙武さんが腹を立て、事の顛末をツイッターに書き込んだという流れだという。その際に、店名を公開したことから、イタリア料理店のサイトや店主ツイッターが炎上し、店側は謝罪した。一方、「店名公表はやりすぎでは」という意見があり、乙武さんもブログで謝罪した。

オレは乙武さんの行動で大きく間違ってることが一つあると思っている。それは、従業員が下まで降りてきて車いすごと抱えて上がることが通常のサービスだと思ってる部分だ。つまり、すべての世の中の飲食店は、自分の快適な行動をサポートする義務があると思っている傲慢さである。確かに世の中にはそうしたサービスを提供してくれる余裕のある店もあるかも知れない。これまで乙武さんの訪れたすべての店がそうだったのかも知れない。しかし、オレはそうは思わないのである。

 車いすごと大人を抱え上げるのに屈強な男性が2人がかりで介助しないといけないとする。もしもそのレストランにいる従業員が、そうした力仕事ができない優男や女性ばかりならどうなのか。そもそも営業中のレストランは忙しいのである。みんないろんな仕事を流れ作業で分担して行っていて、遊んでる人間などいないのだ。その仕事を中断して、数人がかりで介助することを要求したとして、それを店側が拒否することのどこがおかしいのか。自分が理不尽な要求をして、それが認められなかったからと店の名前を出してさらしものにするというのは、やくざが因縁をつけてるのと同じことであり、くだらないクレーマーのレベルである。オレは乙武さんの著書の「五体不満足」も読んだことがあるし、これまでは立派な方だと敬意を払ってきたつもりである。しかし、この一件を知って彼に対する評価は地に落ちた。有名人になったからとまわりが自分になんでも合わせてくれると思って傲慢に振る舞ってるただの迷惑なオッサンだ。

 世間にはバリアフリーでない場所はたくさんある。たとえば富士山や穂高岳や槍ヶ岳がそうである。車いすに乗ってる人が「槍ヶ岳に登りたい」と思ったとして、周囲はそれを叶える義務があるのか。否である。そこはバリアフリーな-場所ではないからだ。もしも槍ヶ岳が「車いすでも登れるようにスロープをつける」なんてことになればどれだけ山肌を削って余計な工事をしなければならないか。

駅や空港、病院や市役所などの公共の場所はバリアフリーにする義務がある。それは誰もがそこを利用できるようにする必要があるからだ。しかし、個人の家でその必要が出てくるのは家族の中に介助を必要とする者がいるときだけである。オレの住む家は古い日本建築なのでもちろんバリアフリーではない。両親はかなり高齢だが、リフォームすることは考えていない。ただ、階段に手すりをつけたくらいである。

 ロードサイド型のファミリーレストランはどこでもエレベーターが設置されていて、車いすの方でも入店に支障はない。「かごの屋」も「ジョリーパスタ」も「スシロー」もみんな身体障害者の利用に対応している。その一方で京都の老舗料理店とか、オレが気に入ってる老舗の喫茶店とかバーとかには、こんな狭い階段どうやって上がるんだという感じのところもあるわけで、それをバリアフリーに改修するのは無理だ。

 最初の乙武さんの話に戻るが、もしも予約時にきちっと事情を説明して可否を問えば、店側は「申し訳ありませんが、こちらのスタッフの都合で予約をお受けすることはできまません」と丁重にお断りできただろうし、それでもどうしても乙武さんがその店で食事をしたいのならば、乙武さんが自分で友人やボランティアに介助のサポートを頼めばよかったのである。「介助人が参りますので」という形にすれば店も事情を了解して予約を受けることができただろう。

 まだまだ日本は障害者に優しい国ではない。街の中には不便な場所はたくさんある。これはまだまだ改善しないといけない部分である。ただ、着実に世の中は変わってきていると思う。オレはよくイオンモールなどの商業施設に行くが、車いすで利用してる人を見かけることも多い。えんえんと書店で座り読みを続ける車いすの方もいるのだ。障害があっても積極的に街に出て行動できる
ことは大切である。

 今回の乙武さんの事件だが、必要なのは双方が相手を思いやることだ。乙武さんの側にお店の側の負担についての配慮があり、お店の側に予約時にちゃんと相手の素性を確認する準備があれば、このような不幸な行き違いによる罵倒合戦は起きなかったのである。

 オレは車を運転していてよく信号無視の歩行者のために急ブレーキを踏まされたりする。しかしその程度のことでオレは腹を立てることはない。きっと赤信号でも無理に渡らないといけない急ぎの事情があったのだろうと思うし、オレのように瞬時に急ブレーキを踏んで危険を回避できる有能なドライバーの前で信号無視をしてむしろよかったと思うのである。もしも判断のトロい下手くそドライバーならブレーキが間に合わずにはねてしまったかも知れない。目の前の無法な歩行者に対して「おまえはなんて幸運なんだ。よりによってオレの前で信号無視するなんて!」と祝福のクラクションを盛大に鳴らすのがオレのいつもの行動である。


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