2013年04月30日(火) |
靖国神社は日本国民の聖地である |
携帯用URL
| |
|
どうかお読みになる前に←応援のクリックをお願いします! m(_ _)m
アメリカを訪問した諸国の国家元首がアーリントン国立墓地を慰霊のために訪問することは恒例となっている。アーリントン国立墓地は1664年に、南北戦争の戦没者のための墓地として、南軍のロバート・E・リー将軍の住居周辺の土地に築かれた。その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争等の戦没者が祀られ、現在でも戦没者やテロ犠牲者などのアメリカ合衆国のために尽くした人物の墓地が存在する。墓地が築かれたのは1864年であるが、判明した範囲でアメリカ独立戦争の戦没者の墓地も設けられている。
一方靖国神社に祀られるのは幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり、日清・日露戦争なども含めてそこに祀られ「御柱(みはしら・神を数える単位)」は246万6532柱にも及ぶ。
オレは靖国神社の位置づけはアメリカにおけるアーリントン国立墓地のようなものだと思ってる。だから日本を訪問した各国の元首は、アメリカ訪問時と同様に靖国神社に参拝すべきであるというというのがオレの見解である。
戦後に日本を占領したGHQは、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたという。あまりにも日本を侮辱した話である。ローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル神父とメリノール宣教会のパトリック・バーン神父に意見を求めたところ、ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」と答え、「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」と進言したのである。この事実を我々はどれほどの人が知っているのだろうか。
靖国神社へのA級戦犯の合祀が問題とされるが、オレは彼らもまた戦争の犠牲者であると思ってる。だからローマ教皇はミサを行ったのである。1975年に真言宗醍醐派品川寺僧侶仲田順和(のち醍醐寺第百三世座主)が教皇パウロ6世に東京裁判で戦犯となったものへのミサを行うことを依頼すると、教皇はミサを約束した。パウロ6世が逝去された後1980年5月21日、教皇ヨハネ・パウロ2世がパウロ6世の遺志を引き継ぎ、A級戦犯・BC級戦犯として処刑された人々へのミサがサン・ピエトロ大聖堂で行われ、1068柱の位牌が奉納された。
そうした歴史を持つ靖国神社を日本の政治家が参拝することは当然のことであり、それを非難する中国政府の発言は、中国政府の要人や党幹部が戦没者に対して何の敬意も払ってないことの現れである。
終戦後、国家神道は否定され、靖国神社はただの慰霊のための聖地となった。靖国神社が侵略戦争を礼賛している場所であると誤解して受け止めるならば、その誤解をきちっと解いてやるべきである。おそらく中国や韓国の教科書にはそんな誤解が記載されているのだろう。反日感情を煽るための悪意のある記述や、それを盲信している人たちに対して我々は粘り強く訴えないといけないのだ。
多くの犠牲の上に今の日本国家の繁栄がある。国家の繁栄の恩恵を受けて暮らしている我々は、死んでいった英霊たちへの感謝の気持ちを常に忘れてはならないのである。
そして、靖国神社に放火したクソ野郎を「国家の英雄」として礼賛し、韓国政府に圧力を掛けて日本への引き渡しを拒否させた中国政府は、世界中から非難されるに十分な要件をすでに備えているのである。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館