2013年03月12日(火) |
震災から二年、何が復興に必要なのか |
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東日本大震災から2年が経過した。オレは何度かこの日記で阪神大震災について書いてきた。「復興」という名の「再開発(地上げ」によって地域コミュニティは破壊され、かつて商店街などに活気のあった場所には無機質な雑居ビルが建ち並び空きテナントだらけで閑散とし、住民の半数近くが入れ替わってしまってかつての街は完全に壊滅した。破壊は二度起きたということをオレは書いたのだ。一度目の破壊は地震によってもたらされたが、二度目の破壊は行政によって起きたということを。
テレビの画面には東日本大震災からの復興のために必死に取り組む人たちが登場する。苦しい状況の中で健気に頑張る人たちをそうして取り上げることは必要だ。ただオレはそれを見ていて思うのである。政治は、行政は阪神大震災の時にいったい何を学んだのかと。二重ローンの問題一つにしても何も解決していないじゃないか。どうして津波ですでに流されてしまった家に対してローンを払い続けないといけないのか。なぜこんな理不尽なことが解消されないのか。政府が守るべきは金融機関の利益ではなくて、ローンが払えずに自殺に追いこまれる弱者ではないのか。なぜおまえたち政治家は金を持ってる連中の見方なのか。
原発事故によって住む街から追われ、今後数十年帰還が叶わない人たち、いわゆる原発難民となってしまった人たちをこれからどう救済するのか。明確な答えもないままに時間だけが過ぎていく。汚染水は増える一方で、貯蔵しきれなくなることで海への放出も考えられてるという。結局事態は何も進展していないのである。4号機から大量の燃料棒をどうやって回収するのかという難題も残っている。世界有数の地震国である日本にどうして53もの原発を建設してしまったのか。他の原発が同様の事故に見舞われたときに被害の規模はどうなるのか。我々はこれだけの事故を前にしてもなぜ「原発の全面停止」という決定を下せないのか。もはやその土地に戻れないという事実を厳粛に受け止め、国や東京電力が私有地をすべて買い取って補償する以外の道筋はないとオレは言いたいのだ。どれだけゼニがかかってもそれは原発を推進してきた国家の責務であり、今後も同様の事故が起きればそれだけのコストを支払わないといけないということである。
阪神大震災の時は被害地域が大都市だったということもあって、街を外見だけでも復興すれば人はそこに戻ってきた。人口も震災前と同じくらいに回復した。しかし、東日本大震災の被害地域はすでに過疎の集落が多かった。置かれた条件が全く違うのである。その場合はどんな「復興」を行えばいいのか。復興の結果「以前と同じ」ようにできたとしても、そこに残るのは多くの方たちの尊い犠牲を出したという事実だけなのだ。せっかくあの震災を生き延びたのに、見えない未来に希望を失って自殺する人が今も後を絶たないことを政治や行政はどう受け止めるのか。どうすればそこで暮らす人たちが「希望」を見いだせるのか。何もかも失ったけど、将来への希望だけはあるという気持ちにできるようにするのが政治や行政の果たす役割じゃないのか。
被災地の有効求人倍率は1倍を超えた。しかしその多くは建設業などの短期雇用中心である。ゼネコンの多くが労働者を使い捨ての資源と考え、スキルを育てるのではなくて国から受けた仕事を下請けに丸投げするだけの詐欺会社であるという現実は少しも改善されていないし、これからもそのままだろう。使い捨てられた労働者は最後は大阪・西成区のあいりん地区に流れ着き、そこで生活保護を受給して覚醒剤を買い、酒とパチンコの日々に溺れる。橋を造り、道路を造り、街を造るというすてきな仕事がどうしてこのように社会の底辺に位置づけられてしまっているのか。なぜその仕事をしたことを誇りにして胸を張れるような社会にしなかったのか。その一方で能力に見合わない大学卒を大量に生産して、就職浪人を生み出し続けるこの国の労働市場のミスマッチはあまりにもひどいのである。
大学卒の若者を現場での作業員として正規雇用し、彼らを日本のインフラ整備を支える高度な職能集団としてエリート意識を持たせ、下請けに頼らずにすべてを自社で賄えるようなゼネコンは日本には存在しないのか。オレはそんなことを思うのだ。そんな企業が次々と誕生すれば今の労働市場のミスマッチも自然と解消するだろうし、人々の意識も変わるだろう。その終着駅が生活保護で覚醒剤漬けということもなくなるだろう。これからの社会でもっとも求められるのは何か。IT技術者や金融のプロだけではないのだ。それに誰が今気付いているだろうか。
復興のために投入される資金がゼネコンへの手数料という名のピンハネに消え、それが政治献金に還流されるという世の中の仕組みを変えない限り、日本は永遠にこの種の災害の悲劇に翻弄され続けるだろう。常に犠牲を強いられるのは底辺の庶民であり、政治家や銀行屋は誰も困らない。オレはそれが悔しいのである。そして自分にはそれを変えるだけの力がないことも。
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