2012年05月26日(土) |
甲子園に集え!暗黒戦士たち |
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巨人軍のV9を支えたメンバーはV9戦士と呼ばれた。オレが記憶している巨人軍のメンバーというのは確かこんな感じだったと思う。
1番センター柴田
2番セカンド土井
3番サード長嶋
4番ファースト王
5番ライト末次
6番レフト高田
7番ショート黒江
8番キャッチャー森
9番ピッチャー堀内
ちゃんと調べずに記憶だけを元に書いたので多少違ってるかも知れないが、少なくともオレがV9戦士として思い浮かべるのはこのようなメンバーだ。
その輝かしいV9戦士とは対極の存在として、阪神タイガースの長期低迷期、俗に言う「暗黒時代」を支えたメンバーのことをオレは「暗黒戦士たち」と勝手に命名している。1985年に優勝したわずか2年後の1987年に6位になり、それから2001年まで続いた15年ほどの日々のことである。この間の監督と順位を列挙するとこうなる。
1987吉田 義男 6位
1988村山 実 6位
1989村山 実 5位
1990中村 勝広 6位
1991中村 勝広 6位
1992中村 勝広 2位
1993中村 勝広 4位
1994中村 勝広 4位
1995中村 勝広 6位
1996藤田 平 6位
1997吉田 義男 5位
1998吉田 義男 6位
1999野村 克也 6位
2000野村 克也 6位
2001野村 克也 6位
この時期の阪神にはエースと4番がいなかった。一年間ローテーションを守って負け続けた投手はいる。藪恵壹だ。いいピッチングをしても味方が点をとってくれない。そのうちに一発を打たれてしまう。年に一度だけ完封するがそれ以外は負けまくる猪俣隆というナックルを投げる投手もいた。今は寿司職人をしているらしい。まともな4番バッターもいなかった。その代わりに2人で毎試合三振の山を築いた新庄、桧山のコンビがいた。毎年やってくる外人はいつもハズレだった。他球団のお古をもらってもそれもハズレだった。山田勝彦という12球団最悪の捕手が居た。オレが忘れられないシーンがある。盗塁したランナーが転んだ時に、ついつい力が入りすぎた山田は送球を大暴投してセンターに投げてしまった。さすがにこんなヘタクソはどこにもいないよとオレは悲しくなったのである。
星野監督が就任して2003年にリーグ優勝。2005年には岡田監督でリーグ優勝した。その時期に阪神ファンになった人たちは「強い阪神」の姿しか知らない。しかしオレにとっての阪神はやはりあの暗黒時代の阪神なのである。
その暗黒時代を支えたメンバーが、今コーチとして続々阪神に集結してきたのだ。なんということだ。しかも監督も和田豊である。暗黒時代の唯一の希望は「もしかしたら和田が首位打者をとれるか?」というものだった。阪神の安打製造器として、和田豊は1・2塁間をゴロで抜く渋いヒットを量産した。まともな4番のいなかった阪神ではその出塁はほとんど得点には結びつかなかったが、それでも阪神ファンは打撃ベストテンに阪神の選手の中で唯一名前の登場する和田をとても期待していたのである。
投手コーチ 藪恵壹、守備走塁総合コーチ 山脇光治、内野守備走塁コーチ 久慈照嘉、外野守備走塁コーチ 78 関川浩一。暗黒時代の懐かしい選手たちだ。やい関川、なんでおまえは阪神にいたときは全然活躍しなかったくせに中日に行ったとたんに優勝に貢献したんだ。久慈も全然打てなかったなあ。確かに守備は良かったがそれにしても打てなかった。いちばんまともに打ったのは新人王をとった年だけだったような気がする。
久慈コーチは今3塁コーチを務めている。そのせいか今季は「本塁憤死」という場面が多い。外野手の肩と走者の足とを考えて瞬時に判断を下さないといけないわけで3塁コーチというのはなかなかの重責である。しかし、久慈コーチの判断は悪すぎるのである。貴重なランナーが本塁で刺されると悲しくなる。金本のような守れない走れない投げられないと3拍子そろった自軍の選手を基準に考えてはダメである。他球団の外野手はみんなまともなのである。
いつまでも引退できないベテランのせいで若手の出場機会がない。ベテランを代打に送って、仮に出塁できたとしても代走を出さないといけないのである。ベンチ入りできる選手には限りがあるわけで、代走要員とセットにして選手を無駄に使うことになる。だったら最初から若手に出場機会を与えた方がいい。桧山のセカンドゴロはもう見たくないのである。オレの脳裏には2003年の日本シリーズで、ソフトバンク和田毅の立ち上がりのピンチを一瞬にしてゲッツーで救った桧山のセカンドゴロが鮮やかに蘇るのだ。
今の阪神は第二期暗黒時代である。コーチとして、監督として復帰した暗黒戦士たちがこれから阪神をしばらく低迷させるだろう。今の阪神にはエースも4番もいない。今いるのは今ひとつ何かが足りずにエースになれなかった投手たちと、元4番の栄光をいつまでも忘れられない過去の大打者である。打てなくなったのにいつまでも4番だった掛布や岡田を思い出すのである。今年の阪神はたぶんDeNAと最下位争いをすることになるだろう。
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