2012年03月21日(水) |
斑目春樹、何もしないで稼いだ3000万円 |
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班目春樹(まだらめ はるき)と言えば第8代の内閣府原子力安全委員会委員長である。彼にとって不幸なことは、彼の任期中に福島第一原発の事故が起きてしまったことである。もしもあの事故がなかったら、そのボンクラぶりを世間に笑われることもなかっただろう。東京大学大学院工学系研究科修士課程を修了し、長らく東京大学教授の職にあったが、退官後に原子力工学の分野の専門家として内閣府の原子力安全委員会の委員長に就任したのである。
3月11日の東日本大震災の直後に福島第一原発の事故が起きた時、内閣府原子力安全委員会委員長という肩書きの彼のところにマスコミの取材が殺到した。彼に求められたのはその事故がどのようなものであり、どんな可能性があるのか、どんな危険が考えられるのかという国民の最も知りたいことを説明することだった。しかし、彼にはその分野の理解がなぜか大きく不足していたのである。原子力工学の分野の専門家のはずなのに、全く事態が把握できていなかったのだ。だから彼はボロを出すのを恐れて取材を拒否し続けた。
事故発生翌日の3月12日午前6時過ぎ、菅直人の乗る陸自ヘリは首相官邸屋上を飛び立って被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かったのだが、その時に隣に乗っていたのが班目春樹だった。彼がそこにいたのは「原子力安全委員会委員長」だからである。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者なのである。彼が「総理、原発は大丈夫なんです。(原子炉は)構造上爆発しません」と述べたその日の午後、一号機の建屋で水素爆発が起きた。このときに彼が「爆発したのは建屋であって、原子炉ではありません」と言い訳したのかどうかは定かではない。
冷却機能を喪失して温度が急上昇した原子炉に対して、緊急措置として3月12日夜からは海水の注入が行われていたが、この時になんと斑目春樹は、「(海水注入による)再臨界の可能性はゼロではない」と危機感を懸念する意見に動揺し、これを受けて首相官邸は海水注入の中止を指示した。しかし現場で指揮を執る福島第一原子力発電所所長・吉田昌郎の判断によって、海水注入の努力は継続され、その結果再臨界は防がれたのである。ここで斑目春樹の指示通りにすれば大変なことになっていたのだ。こいつは原子力安全委員会委員長ではなくて、原子力危険推進委員長だったのである。
このボンクラ委員長、その後も原子力安全委員会委員長の職務にあったのだが、やっぱり自分には無理とわかったのか、この3月末で退任する意向を表明した。逃げ出したのである。「区切りをつけたい」ということなんだが、原子力安全委員会の常勤の俸給は月約94万円もある。彼は2年間で3000万円近くの報酬をもらってるのである。しかも退職金まで支給されるのだ。このボンクラにゼニを払うだけの価値があるのか。こいつが大金をもらって逃亡することを、避難区域内に家があるために今も自宅に帰れない人たちはいったいどのように受け止めるのだろうか。
責任感も使命感もなく、この国家の一大事を他人事のように受け止め、傍観者としてしか関われなかったクソ野郎、斑目春樹よ。おまえが本当に職務を忠実に果たしていれば、あの悲惨な事故の前に日本中の原発の安全性についてもっとさまざまな検証が可能だったのだ。おまえにとってその「原子力安全委員会委員長」というのは、何もしないでも月100万近い報酬が転がり込んでくるラッキーな天下り先でしかなかったのである。おまえは自分の不明さを恥じることもなく、ただ「オレは運が悪い」と思ってるのだろう。こんなクソみたいな天下り野郎のために税金は浪費されるのである。
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