2012年03月11日(日) |
日本人にとって3・11はどんな意味を持つのか? |
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あの震災の日からまる一年が経過した。3月11日がまたやってくる。あの日、我々日本人は何を失い、そして何を得たのだろうか。あのとき失われた多くの命と、奇跡的に助かった命との違いはいったいどこにあったのだろうか。瞬時にして多くの人々の命を奪った大津波の記憶を我々はどのように受け止めるべきなのか。静かに考えてみたい。
今、原発が安全であるなんて誰も思わないだろう。すべての原発が海辺に立地している日本では、同じような災害は常に起こりうるのである。日本の海岸線で津波の危険のない場所などそもそも存在しない。その規模が5メートルだの10メートルだの検証することは無意味だ。地球規模の地殻変動がこれから先に起きないなんてことは絶対に言えない。これまでの地球の歴史からみれば、今回の東日本大震災のような規模の地殻変動など無数に起きてきたはずである。その結果として日本の複雑な地形や自然が存在するのである。そんな国土に多くの原発を建設してしまったことは日本経済にとって最大の痛恨事なのかも知れない。日本は今からどうやってエネルギー問題を解決するのか。すべての原発が停止したままではこの夏を乗り切ることは不可能である。
町全体が原発からの避難区域に入ってしまった自治体は、今後どのように存続するのだろうか。除染に何十年もかかるとなったとき、果たして自治体は存続できるのか。その地域にある自宅に20年後、30年後に戻れるようになったときに、家族がみんな存命であるという保証はない。このような悲劇は国土に多くの原発を抱えてしまった今、決して福島第一原発だけの問題ではないのだ。
破壊された街を元通りに復元して、にぎわいがもどってくればそれで「復興した」と言えるのだろうか。それは「否」である。阪神大震災を体験し、それによって多くのものを失った人々の心が未だに癒されないように、心が元通りになるなんてことはありえない。
阪神大震災という未曽有の大災害を神戸市は区画整理の絶好の機会としてしかとらえず、その結果地域コミュニティは崩壊した。庶民の活気溢れる街だったあの長田地区は、無機質な真四角のビルが建ち並ぶ空きテナントだらけのゴーストタウンと化した。多くの人々が神戸市のばらまいたゼニと引き替えに街を捨てた。ここに震災復興に失敗した生きた事例がある。そうした失敗を二度と繰り返してはならないのである。津波で流された街に人が戻ってきて昔のにぎわいを取り戻すために必要なのは、ゼニではなくてその街で生きようという意志である。もちろん復興支援のためにはゼニはあった方がいいに決まっているが。
自然災害から逃れることのできない日本に必要なのは、自然災害を物理的に克服できるような施設ではなくて、自然災害は逃れられないものとして受け止めることである。巨大堤防で河川の氾濫を防ぐことではなくて、氾濫するとわかったら速やかに安全な場所に避難できるように準備することだ。破壊されたモノは復旧可能である。人命が失われないことを第一に考えないといけない。コンクリートで災害は防げない。人命を救うのは常に人智なのだ。起きたらどうするのかということを常に考えておくことだ。
日本中の津波の危険のある地域では「地震発生後20分以内に高台への避難を完了させる」ための準備をすべきだろう。すぐ近くに山があるのに多くの児童が津波に飲み込まれた大川小学校にもしも裏山に登って逃げる避難路が整備されていて、教員たちに危険の認識があれば誰も死なずに済んだのである。海岸線近くで多くの人が暮らしている日本における津波対策は、避難場所の確保と、避難できない場所には居住しないことに尽きるのではないか。
周囲を海に囲まれた日本では、津波の絶対に来ない海岸線など無いに等しい。それなのに我々は対策を怠っていた。2004年のスマトラ島沖地震の大津波のニュースも「日本にはあんな津波は来ない」とたかをくくっていた。あの津波で友人を失った私でさえも、まさかそれを上回るような規模の大津波が来るなんて思いもしなかった。もしもあのときに「日本で同じ規模の地震が起きたらどうなるのか?」と想定して徹底した津波対策や避難訓練を行っていれば、今回のような犠牲も福島原発の事故も起きなかったのである。
事前に津波に対する学習を行っていたことで釜石の小中学校では安全に避難ができた。その学習に必要な費用は、巨大な堤防を築くことに比較すればわずかなものである。このことはゼニを使うだけが災害対策ではないということを如実に語っている。もっとも大切なのは教育なのだ。それにしても、せっかく一度安全な場所に逃げたのに、自宅に戻って流された人がどれほど多かったことか。お金や貴重品を取りに戻ったのか、思い出の大切な品を失いたくなかったのか。
今日、3月11日はあの震災から一周年ということで日本中でさまざまな震災に関する行事が行われるだろう。あの地震の起きたその時刻にオレは静かに祈りを捧げたい。失われた多くの命への哀惜を込めて。
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