2012年01月14日(土) |
「刑務所へ帰る。疲れた・・・」 |
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なぜ日本では脱獄事件がほとんど起きないのか。それは日本の刑務所の生活が快適だからという説がある。受刑者の生活は「懲罰」ではなくて、「矯正」を目的としているために、日常生活そのものが苦痛になるような状況ではないからだ。
そんな快適な刑務所から、突発的に脱獄を試みた李国林受刑者は、結局仲間の支援も得られず、逃走中に捕まったのである。毎日新聞の記事を引用しよう。
広島刑務所脱走:李受刑者を逮捕「刑務所へ帰る。疲れた」
広島刑務所(広島市中区吉島町)から中国籍の李国林受刑者(40)が脱走した事件で、広島県警は13日午後4時35分、同市西区天満町の歩道で李受刑者を発見、逃走容疑で逮捕した。刑務所周辺には学校やマンション、商業施設などがあり、児童たちが集団登下校するなど住民を不安に陥れてきたが、県警は13日早朝から約500人態勢で追跡し、脱走から約54時間ぶりに身柄を確保した。県警は詳しい逃走経路や動機などを追及する。
逮捕容疑は、11日午前10時40分ごろ、刑務所東側の外壁を乗り越えて飛び降り、逃走したとされる。
県警によると、李容疑者に似た服装の不審な男を私服警察官が発見し職務質問したところ、「李国林です」と日本語で答え、マスクを外して左ほおの傷を見せ、「刑務所へ帰る。疲れた。何も食べていない」と話したという。所持していた果物ナイフも手渡した。李容疑者は脱走時は受刑者用の白い肌着姿だったが、逮捕時は逃走中に盗んだとみられる青色のジャンパーやニット帽姿で、所持金はシャツの胸ポケットにあった10円硬貨1枚だけだった。「気持ちがとても疲れている。何も話したくない」と供述しているという。
現場は同刑務所の北西約2キロでマンションや商店が建ち並び、同市立天満小学校に近い場所で、身柄が確保される際はパトカーや住民らで一時騒然とした。
県警などによると、李容疑者は11日午前10時半ごろ、同刑務所運動場で確認されて以降行方不明になり、県警が全国に指名手配した。警察庁も、95年11月にオウム真理教元信者に指定して以来となる特別手配をして捜していた。
李容疑者は刑務所の東約200メートルの公園に立ち寄ったことが確認され、西約1.5キロの民家では12日に空き巣に入って衣類などを盗み、食事も取っていた疑いがあることが遺留物のDNA型などから判明した。周辺では12日夜から13日朝に車上狙いや金庫破りなどの被害も3件あり、空き屋侵入の目撃情報もあった。県警は、窃盗と住居侵入の疑いでも李容疑者を逮捕した。【寺岡俊】
毎日新聞 2012年1月13日 16時51分(最終更新 1月13日 20時58分)
空き巣に入った家にもしも住人がいれば、危害を加えられることになったかも知れない。そう思えば、逃走中に殺人や傷害などの犯罪を李国林受刑者が起こさなかったことは不幸中の幸いである。
オレは今回の脱獄を「仲間と示し合わせて起こした計画的犯行」だと思っていた。そして迎えに来た仲間がちゃんと逃走経路を確保していて今頃はすでに偽造パスポートで密出国していてもはや手遅れだと思っていたわけで、まさか広島市内に潜伏中だったとは思わなかったのである。警察が広島で検問を行ってる報道を見て「もうとっくに逃げられてるよ」と思っていたのだが、実際は徒歩でしか移動できず、しかも人目につかないように行動するためにほとんど動けなかったということだったようだ。仲間との連絡が取れていなかったことは間違いない。組織のサポートはなかったということだろうか。
今回はたまたま捕まえることができたのでよかったわけだが、日本の刑務所は都会のど真ん中にあることが多いために塀を越えさえすれば容易に逃亡可能なのである。着替えを手に入れればすぐに都会の人混みに紛れることができるからだ。少なくとも外国人の受刑者たちからますます舐められるようになったことだけは間違いない。逃亡されたことに気付くのも遅すぎたのである。
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