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日本は四季じゃなくて二季になってしまったとオレはこれまで日記で何度か書いたことがあるが、今年も秋があったのかなかったのかわからないままにもう冬になっていた。オレはいつのまにかパッチをはいているし、家ではこたつに入っている。
高村光太郎に「冬が来た」という詩がある。
きっぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒(ほうき)になった
きりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のような冬が来た
高村光太郎がこの詩の中で用いる「冬」というのは、季節の冬だけではなくて人生のさまざまな試練の象徴のように思われる。ただオレは基本的に寒がりなので、「冬よ 僕に来い、僕に来い 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ」というこの詩のフレーズは「おまえはマゾかよ!」としか思えないし、「火事を出せ!」なんてなんて不謹慎なんだと今なら大問題になりそうなフレーズである。実際のところ今のオレは寒さに耐えてすごすのよりも、寒さに負けて温かいところに逃亡する方が好きである。
最高気温が10度くらいだとものすごく寒く感じてしまうわけだが、その程度で「寒い」なんて言うと、北海道の人から「甘えるな!」と罵倒されそうである。今は大阪の最低気温よりも旭川の最高気温の方が寒いだろう。年をとることで髪紙が薄くなったりしわが増えたりなどと肉体にはさまざまな変化が起きたわけだが、その中でも特に顕著に自分が感じていることが、寒さに極端に弱くなったということである。
今はパッチ(「ズボン下」という下着のことを関西ではこう呼ぶ)をはくのが当たり前だが、20代の頃はそんなものをはくのはオジンくさいことであり、若者は断じてそんなものははいてはならないと思っていた。寒くてもやせ我慢するのが若さだと思っていたのである。しかし、30代、40代と年齢を重ねる中で自然に寒さに対する耐性を失っていったオレの肉体は、より暖かな衣類を求めるようになり、ラクダのシャツやパッチという老人ファッションに接近していったのである。
さて、大阪も完全に冬になってしまった。これから春になるまでずっと寒いのである。こたつにはいってすごすのである。ファンヒーターががんがん灯油を消費するのである。それが冬というものである。この冬も夏同様に「節電」が叫ばれるわけだが、我が家は灯油で暖房だから全く気にする必要はないのである。がんがん灯油をつかって部屋を暖めて、こたつになど入らなくてもいいくらいにして節電しようと思うのである。エアコンで暖房している人は電気の消費を減らすために石油ファンヒーターにしようじゃないか。寝るときも電気毛布に頼らずに人間同士がくっついて暖めあえばいいのである。それが究極のエコである。
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