2011年12月10日(土) |
真央ちゃんのお母さんが・・・ |
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グランプリ(GP)ファイナル出場のためカナダのケベック市を訪れていた浅田真央選手は母の容体急変の知らせを受け、急きょ試合を欠場して帰国した。しかし、真央ちゃんが駆けつけた時にはもうお母さんは息を引き取っていたという。なんと痛ましいことだろうか。享年48歳は若すぎる。私よりも2つも下なのである。
浅田真央選手の母・匡子さん、48歳で死去
フィギュアスケートのバンクーバー五輪女子シングル銀メダリストの浅田真央選手(21)(中京大)の母、浅田匡子(きょうこ)さんが9日早朝、肝硬変のため、名古屋市内の病院で亡くなった。
48歳だった。
告別式、通夜などの日時、場所は未定。
浅田選手が所属するマネジメント会社によると、匡子さんは今夏から病状が悪化し、入退院を繰り返していたという。浅田選手はグランプリ(GP)ファイナル出場のためカナダのケベック市を訪れていたが、容体急変の知らせを受け、急きょ試合を欠場して緊急帰国。浅田選手が病院に着いたのは匡子さんが亡くなった後だったという。
(2011年12月9日23時42分 読売新聞)
オレのような暴言野郎も、このニュースには思わず涙してしまった。なんてことだ。ケベックから急いで帰ってきて、病院に駆けつけた時にはもう間に合わなかったのだ。自分にとって一番大切な人との別れの瞬間を真央ちゃんはほんのわずかの差で失ってしまったのだ。なんてせつなく、そしてつらいことだろうか。
オレには老いた父親がいる。口癖のように言うのは、「オレが死んでも学校休まなくてもええぞ。そんなことでいちいち仕事休むな。」である。数年前に心筋梗塞で父が倒れた時、オレはどれだけ心を痛めたことか。症状が落ち着いてしばらく入院していた父の所に毎日仕事の帰りに立ち寄ったことを思い出す。
病状が悪化して入院した母がいながら、どうして真央ちゃんはこれまで試合に出続けることができたのだろうか。オレはその気丈さに心うたれるのである。そして母の容体急変の知らせに急遽欠場して帰国したのも当然の行動だ。幼い頃から真央ちゃんを支えてくれた母親の存在がなかったらここまで来れることはなかったのだから、彼女がその母のもとに駆けつけるのは何よりも優先されることである。
真央ちゃん、つらいときは泣こう。練習したくない気持ちの時は休もう。それが21歳の普通の女の子なんだから。あまりにも早すぎる母の死は、きみにとってどれほど残酷なことかと思ってしまう。きみが金メダルを一番見せたい人はきっと母だったと思うからだ。
オレはデビューしたときからずっと真央ちゃんが好きだ。きみが滑っている姿を見るだけで心が癒されるよ。まだ若すぎて冬季五輪に出られなかった時は本当に残念だったね。オレはずっと真央ちゃんのファンだ。きみが滑る順番が来ると、オレは他のことをすべて中断してテレビの前にかじりついている。こんなオッサンがファンだなんてきみは迷惑かも知れないが、母を亡くしたきみの気持ちを思って胸を痛めてる一人のオッサンがいるといるということを伝えたいのだ。
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