2011年12月09日(金) |
日本はどんな国家を目指すべきなのか? |
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円高によって製造業を中心とする輸出産業が崩壊した今、加工貿易によって輸入した原材料に付加価値を付けて外貨を稼ぎ、豊かになると言うかつての日本の貿易立国の姿はもはや実現不可能となってしまった。日本という国家は今後どうやって存在し続ければいいのか。食糧自給率を高めて自給自足経済でいくのならそれも一つの方向性だ。幸いなことに人口は減少しつつある。ここはどんどんスリムになって人口5000万人くらいの農業国となって、細々とアジアの片隅で生きながらえるという未来である。その程度の人口ならばなんとか今の耕地面積でも喰わせていけるだろう。
あくまで「工業製品の輸出で外貨を稼ぐ」という方向を捨てないのならば、すべての製品において、超高級品を目指すしかない。世界の人々が「どんなに高くても買ってくれるモノ」を作り出せるならば、そのブランドの価値で生き残れるかも知れない。しかしもう手遅れである。工業製品の中でもどこの国でも生産できるようなものに関しては日本は韓国や中国にすっかりと遅れをとってしまった。汎用品の世界ではもう競争に勝てなくなったのである。
学校で教えることのレベルを下げ、記憶されるべき分量を減らしたゆとり教育の成果で大量の「読み書きの能力の低い若者」を生み出したことはどんな意味があったのだろうか。人民を少数のエリートと、多数の一般人民に分けることがその目的だったのならばそれは見事に成功している。
そのゆとり世代の若者たちはなぜかそこら中に乱立している大学に入ってしまい、4年間遊んでから就職できずに困っている。自分たちの頭の中が「ゆとり」だらけでろくに知識も詰まってないことを棚に上げて、政府の雇用対策のなさを責めようとする。
この大量の「ゆとり世代」の若者を雇用できる受け皿になれるのはやはりサービス業だろう。オレがかねてから提唱している「観光立国化」なのである。外国人観光客が大挙して日本に押し寄せてゼニを使いまくってくれるような、そんな魅力的な国にしないとダメだ。
せっかく観光業という戦略を景気回復のために採用しても、そこで雇用されるのがみんな外国人なら意味がない。日本人よりも低賃金で働いてくれる方々の存在に甘えて理不尽な雇用差別を温存されても困るのである。
旅館にしてもホテルにしても、外食産業にしても遊園地にしても、オレは日本のサービス業のレベルは世界一だと思っている。それはそこで働く方々のレベルが高いからである。かつて日本は工業製品で世界を席巻したが、今度は日本の「おもてなし」の精神でもてなすべく、超高級ホテルにどんどん和のテイストを取り入れるのだ。工業製品を輸出して外貨を稼ぐのではなくて、日本に来た外国人に外貨を落としてもらうという形でゼニを稼げることを目指すべきだ。
結果を早急に求めてはいけない。それは30年、40年後になってやっと目に見えるようなものかも知れないのである。これから先の日本がいったいどんな国になっていくのか。それを見届ける頃にはオレの寿命はもう尽きているだろう。常に50年先のことを見据えてビジョンを語れるようなそんな政治家はいないのだろうか。
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