2011年05月28日(土) |
ガンガン冷やしてこそ節電だぜ! |
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こないだから雨ばかりで「まるで梅雨みたいだ!」と思って天気図を見たら日本列島の南側に前線が停滞していて本当に梅雨みたいで、「これはどう考えても梅雨だろ!」と思っていたらやっぱり梅雨入り宣言がなされた。そういうわけでもう「梅雨」なんだが、なんでもこんなに早く梅雨入りしてしまったのは戦後二番目の早さらしい。
この梅雨が長期間続いてなかなか夏がやってこなかったらそれだけ猛暑に耐えなければならない期間も減るのでちょうどいいのだが、それは希望的観測というものである。むしろ季節の進行が早まった分、早く梅雨が明けて猛暑がやってくると考える方が妥当だろう。そうなると例年よりも2週間くらい早く梅雨明けと猛暑がやってくることになる。
オレの勤務する学校は、今年の夏「クールビズ」ということになってネクタイをしなくてもいいというお達しがあった。おそらく多くの企業が今年は「節電=冷房の温度設定を上げる」ということで同様に「クールビズ」を社員に指示することになるだろう。オフィス街のファッションも一変するに違いない。
我が家は毎年夏になるとかなりの電気代を払ってきた。家族に全く節電意識がなかったからである。エアコンで冷やされている部屋にみんなが集まって過ごせばいいのに、家族がみんなバラバラの部屋にいて、それぞれの部屋が冷やされているというひどい無駄が実行されてきたからだ。しかも無人の部屋まで冷やされていたりするのである。家族の中でもっとも家で過ごす時間の短いオレは電気代の明細を見るたびに「なんでこんな浪費してるんや!」と文句を言ってきたが全く改まらなかった。しかし今年に関しては節電は国策なのだ。オレは妻や母や息子たちに向かって「おまえら国策に逆らうんか!」と文句を言えるのである。
一人暮らしの世帯がみんなそれぞれの家で冷房を使うことも、大家族のそれぞれが部屋に一人でいてすべての部屋に冷房が入ってることも「無駄」という点では全く同じである。冷房の温度設定をいくら高くしたところで、こういう無駄を解消しない限り本当の節電にはならない。 「冷房が入っている場所にみんなが集まる!」をぜひとも国策として実行して欲しいのだ。
おそらく日本中にある図書館などの公共施設では「冷房の温度設定を上げる」ということが実行されるだろう。しかし、その行き過ぎた節電の結果、そこが快適じゃない場所になってしまったらどうだろうか。「せっかく図書館に来ても涼しくないなあ」と来館者が本を借りて家に帰って、そこで冷房を強めに入れて読書するとしたらどうだろうか。かえって節電にならないと思うのである。「独居老人や無職世帯が昼間に自宅でエアコンをガンガン使う」ということを避けさせることがかなりの節電につながるのではないかと思うのだ。そうしたう人たちに「冷房温度を上げて節電せよ」と呼びかけるのではなくて、「家にいるのをやめて涼しい場所に行け!」と訴える方がはるかに効果が高いと思うのである。
オレの住む街は大阪南部でも特に治安の悪い地域でひったくりなどの犯罪も多く、深夜のコンビニの前ではいつも顔面ピアスのクソガキやウンコ座りの兄ちゃんたちがたむろしてタバコを吸っている。もちろん警察はそんなもの放置黙認である。シートベルトの取り締まりやネズミ取りなんかに熱心で、本当にしなければならないことをしないのが日本の警察の日常なんだが、おれの住む街の警察も同様だ。しかしそんな治安の悪い街でなぜか公共図書館だけは充実していて、オレの家から徒歩5分ほどの場所にも小さな図書館があり、父はよく昼間そこで読書して過ごしている。もしもその快適な場所が「節電」によって失われると困るのだ。
大型商業施設や公共図書館、そして大阪名物の店内がよく冷えた喫茶店、このような涼しい場所は維持させて、そこに昼間ヒマな人たちを吸収してこそ節電になると思うのである。高校野球を家のテレビで観戦させないで、公民館などに独居老人を集めてみんなで大画面のテレビを見るようにすればかなりの節電になるだろう。100軒の家でばらばらにエアコンやテレビで電気を浪費させるのではなくて、公民館一カ所だけを冷やす方がずっと無駄がない。今年の夏の節電にはそうした発想が必要だと思うのである。
オレは今年の夏、家族に訴えたい。 「家で過ごすな、外に行け!」と。そうすれば我が家の電気代の支払いも減るし、国策にも協力できるのである。猛暑の夏でも、公共の場所はできるだけ快適な空間であってほしいと思うのである。
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