江草 乗の言いたい放題
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2011年05月09日(月) 周囲からバカと思われて生きていくこと        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 文中に「バカ」という語が何度か出てきますが、他に適当な語が思い浮かばなかったものですからすみません。先にお詫びしておきます。


 大阪府下のとある高校で制服反対運動が起きた。生徒たちの主張は「服装は個性の表現だ!」「自由に好きな服を着て個性を表現したい」「校則や制服の押しつけに反対する」ということだったが、その高校は入学試験の偏差値が30台で、中途退学者も多く、かなり荒れた状況だった。制服に反対する彼らの本音は「この制服を着てるだけでバカと思われてカッコ悪い」だったのである。彼らにとって、「自由」とか「個性」というのはただの詭弁であり、通学の電車の中とか街中でその制服を着ていること自体が苦痛というのが本音だったわけだ。なんと情けない連中かとオレはあきれた。

 カッコ悪いのならばその高校に行かなかったらいいわけだが、それ以外の選択肢となると普通科よりも入りやすい農業科や工業科などの職業科や定時制、授業料の高い私立高校か中卒での就職ということになってしまう。そういうわけでその学校に不本意ながら入学したわけだが、周囲からバカと思われたくないというプライドはあるわけで、それが「制服反対」という方向に向かったのである。

 オレはこの現象をとても不思議なことだと思う。だって、「勉強しない」というのは自分から選び取ったことではないのか。小学校の時からずっと勉強するチャンスはあった。教室で先生の話をよく聞いて授業に参加し、宿題をちゃんと解き、普通に勉強していれば絶対に30台の偏差値にはならない。

 オレがこういうことを書くと、よく「いくらやってもできないときはどうすればいいんですか?」と反論される。しかし、いくらやってもできないというその主張は本当に「いくらやっても」なのか。友人の解答を丸写しするだけが「宿題」を仕上げることと勘違いし、授業中にろくに先生の話を聞いていないでボーッとしていて、家で5分間だけ机に向かって「あーわからん、やってもでけへんわ」とつぶやく。そんな連中がおこがましくも「いくらやっても」と言えるだろうか。

 実際は「いくらやっても」ではなくて、「いくらどころか全然やってないけど」なのである。「授業集中しないで居眠りしたり授業妨害したり漫画読んでいたりする」「宿題はやらずに遊びまくる」「先生の注意も、親の小言も無視して遊び倒す」という人生を自ら選び取った結果が「ちっとも成績が上がらない自分」なのであり、「授業がちんぷんかんぷん」な状況なのである。

 好成績を取るのはなかなか困難だ。かなり努力しないとクラスでの上位にはなれないだろう。しかし、九九や分数を理解し、簡単な因数分解くらいはできる計算能力を身につけ、動詞の不規則変化を覚える程度のことならさほど困難なこととは思えない。それなのに「go」の過去形は?と問われて「goed」と答えるような高校生が底辺校と呼ばれる世界には無数に存在するのである。まだ「ed」を語尾につけると知ってるだけでもかなりマシな方かも知れない。好成績を取ることと同様に、極めつけのバカになることもまたなかなか困難なのである。

 そうなってしまうのは不可避のことだろうか? 毎日異常な量を食いまくればどんどん肥満していくだろうし、全然勉強しなかったらバカになっていく。そんなこと自明の理である。つまり「自ら選んでバカになる」という選択肢がこの世には存在するのである。

 オレは高校生の頃にがんばって受験勉強したが、それは何も持たなかったからである。イケメンでもなく、大金持ちの息子でもなかったオレにとって受験勉強するというのは「学歴」という武器を手にするために必要な努力だった。もしも何もしなくても金持ちで美貌の女性が寄ってくるようなイケメンだったり、働かなくても生活できるような大金持ちの息子だったらきっと受験勉強などしなかっただろう。何も持たずに社会に出るような勇気はなかったのだ。せめて学歴くらいは手に入れてから社会人になろうと思ったのだ。

 勉強して学歴を手に入れようとせず、人並み程度の勉強もせず、あらゆる勉強という行為に背を向けて徹底してバカになりきらないと30台の偏差値は手に入れられない。それは果たして人生の安易な選択だろうか。

 がんばって学歴を手に入れようとせず、それどころか周囲から差別や偏見を持たれるような環境に自ら望んで身を置くというのはなかなか勇気ある行為だと思う。オレにはとてもできない。オレは小心者だから武器を持たずに野獣の群れに立ち向かうことはできないし、真っ裸で南極探検に行くこともできない。野獣の群れに立ち向かう必要があればやはりライフル銃が必要だし、南極探検には防寒着が必要だ。そして現代社会で生き抜くためにはさまざまな知識を身につけ、学歴や教養を身につけることが必要だと思うのである。ところがそうしたものを全く準備せずに社会に「バカのまま」で飛び出そうとする行為はなんて無謀で、なんて勇気ある選択なんだとオレは驚くのだ。

 底辺校とされる学校に入ってしまった生徒たちは時に「どうせオレは○○高校なんやから、わからへんのは当たり前や」と開き直る。そう、自らがバカであることを高らかに宣言してその状況を受け入れるのである。彼らにとって、漢字が読めないこと、計算ができないこと、常識がないこと、それらすべてが彼らにとっては「誇るべき個性(?)」なのである。いやはや、勘違いも甚だしい。それは本当は「恥」なんだと思うが・・・・

 今、受験勉強に苦しむ中学生、高校生の諸君よ。きみたちはその勉強の苦しみから逃げ出したいと思っているだろう。しかし、逃げ出した先に楽園が待ってると思ったらそれは間違いだ。そこにあるのは今よりももっと厳しい現実なのである。周囲から「バカ」と思われ、見下され、さまざまな差別や偏見と戦って生きて行かねばならないという茨のような人生がそこに待っているのである。それは決して安易な選択などではない。よほど意志強固な者でない限りそんな選択をすべきではない。自分を普通の人間と思うならば普通の学歴を手に入れ、普通の人並みの努力をすべきである。


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