2011年04月09日(土) |
書評『凍』〜沢木耕太郎 なぜ指を失っても登るのか? |
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激しい咳が止まらずに受診した松原徳洲会病院の待合室に、沢木耕太郎の「凍」という文庫本があった。それを待っている間に一気に読んだ。
本書は山野井泰史さんという登山家の評伝である。山野井泰史さんはフリークライミングの世界から、ビッグウォールを目指す方向に進み、ヒマラヤにあるチョー・オユー(8201メートル)の難ルートを無酸素単独で初登攀に成功、その後同じく登山家である9歳年上の妙子さんと二人で2002年の秋にヒマラヤの高峰ギャチュンカン(7952メートル)に挑戦し、見事登頂を成功させたが下山途中に雪崩に襲われ、奇跡的に生還を果たしたが泰史さんは10本の指を、妻の妙子さんは手足の18本の指を凍傷で失った。その登山の一部始終を克明に描くノンフィクションである。
どうしてこんなに困難な壁を登ろうとするのだろうか。どうしてこんな困難に立ち向かうのだろうか。その意味を知るのは、同じように困難と闘おうとしたことのある人間だけだ。最初から努力を放棄して安逸をむさぼる人間にはその行為は「無謀」「馬鹿」と映ることだろう。
また、凍傷で指を失うという事故に遭遇しながらもなぜ登山を辞めないのだろうか。それもまた怠惰な人間には理解不能な世界なのである。オレはその昔「山登りする人は絶対につきあわない。恋人を悲しませて何が楽しいのか。馬鹿じゃないかと思う!」と語った女性とつきあっていたことがあった。彼女の憧れの先輩は山で命を落としていたのだった。
かつてオレはサイクリングに熱中していた時期があった。高校生の頃、日曜日は必ず朝早く起きて、自転車でかなり遠くまで出かけた。当時愛用していたフランス製の軽めのタイヤを履いたランドナー(旅行用自転車)で、オレは巡航速度30キロ近くで3、4時間走り続けることができた。自宅から日帰りで伊賀上野や和歌山、琵琶湖方面に出かけたものである。夏休みや春休みには長期の旅行に出かけた。
往復で200キロ近く走れるということは、400キロほど離れた長野県まで2日で行けるということである。高校2年の夏休み、一日目は家から愛知県の小牧まで、そして二日目には長野県の諏訪湖ユースホステルまでというふうに走ることができた。そのまま諏訪湖ユースホステルに滞在してそのあたりの峠を走りまくり、帰りは名古屋で一泊し、名古屋から自宅までは台風の近づいた大雨の中を必死で走って帰ってきた。
大学生になってからはもっと体力もついたので、同じように長野県の諏訪湖ユースホステルまで行くのに京都から一気に走ることにしたが、往路は夜に京都を出て翌日の夕方までに着くことにした。400キロを24時間あれば十分だろうと思ったからである。塩尻あたりでハンガーノックを起こしそになって、道ばたで売られていたバナナを食べて元気を回復したりしてなんとか昼頃に諏訪湖ユースホステルまでたどり着いた。大学サイクリング部の合宿を終えて、帰路のオレは京都の下宿までノンストップで一気に帰ることにした。早朝にユースホステルを出て、ただひたすらに木曽路を南下して多治見経由で岐阜から米原、京都まで走りきった時はまだ日付が変わっていなかった。15時間ほどで330キロを走りきったのである。軽量化も何もしていない、サイドバッグを2個積んだ重量級のマシンでその長距離を走りきったのだ。昨日よりも今日の方が速く走れる、昨日よりも今日の方が遠くまで行ける、そんな自分の体力の成長をオレはいつも楽しみにして走っていたのだった。
山野井泰史さんが次々と自分をステップUPさせていく様子を、オレはワクワクしながら読んだ。そして妻となる妙子さんとの出会いも。どうしてこんな素敵な出会いがあって、二人の求道者が魂が結びついたのか。人生の偶然とは本当に不思議である。
オレはこの本のような「評伝」が好きだ。自分の体験できなかった別の人生を、それを読むことで疑似体験できたような気になるからだ。もちろんそんな困難なことを自分の困難な肉体が達成できるわけがないし、一人の読者であるだけの自分は絶対安全な場所からこの危険な岩登りを読んでいるだけである。
山野井泰史さんが自宅近くの奥多摩の山で、ジョギング中に熊に襲われて大ケガをしたという事件の報道を新聞記事で読んだことを覚えていたが、当時はそれほど事件に関心を持ったわけではなかった。しかし、今回沢木耕太郎氏の本で山野井泰史さんを知ったことで、改めて興味が湧いたのである。山野井泰史さんの著書もあるので今度はそっちを読んでみよう。
最初から困難な目標には見向きもしない軟弱で怠惰な一般人にはこの本に描かれた世界を理解するのは不可能だ。オレがほんの少しでも共感できたのは、かつて自分もまた一人の求道者であったということが大きいのかも知れない。ほんの2年間だけ高校山岳部の顧問で、北アルプスの3000m級の山を登って感激したことのあるオレは、山の世界をもっと長く体験するべきだったと残念に思ったのだった。
凍 (新潮文庫)
垂直の記憶 (ヤマケイ文庫)
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