2011年01月20日(木) |
「人体標本」は果たして「遺体」なのか? |
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「人体の不思議展」というヤツにかなり以前に出かけたことがあった。会場はかなり混雑していて、大勢の来場者があった。その展示に関して疑問を抱く人が少しずつ増えてきて、その展示された「人体標本」は「遺体」ではないのかということでついに警察の捜査が入ることとなった。産経新聞の記事を引用しよう。
人体展の標本は「遺体」 厚労省見解、京都府警捜査へ 2011.1.19 02:00
京都市で開催中の「人体の不思議展」で展示されている標本について、厚生労働省が「標本は遺体」との見解を示していることが18日、産経新聞の取材で分かった。標本が遺体の場合、特定場所以外での保管には自治体の許可が必要になるが、主催者側は届け出をしていなかった。遺体の取り扱いに関する死体解剖保存法に抵触する可能性があり、京都府警も違法性の有無について捜査する方針を固めた。
一方、標本が中国から日本に持ち込まれた経緯に不透明な部分があるなどとして、京都府保険医協会などが昨年12月、民間団体などで構成する同展実行委員会を京都府警に刑事告発。主催者側や施設利用を許可した京都市に対し、開催中止を求める動きもある。
同展をめぐっては、中国で「プラストミック」と呼ばれる技術で特殊加工された人体標本を展示物として扱うか、遺体として扱うかで見解があいまいだったが、この問題で同省が一定の基準を示したのは初めて。今後、人の死の尊厳をめぐり議論を呼びそうだ。
プラストミックは、死亡した人の身体の組織に含まれる水分や脂質をシリコン、ポリエステル樹脂に置き換え、半永久的に保存する技術。主催者側によると、標本はいずれも生前の意思に基づき、中国・大連の研究施設から賃借しているという。
プラストミック標本についてはこれまで、同省も明確な見解を示していなかったが、同省医政局の担当者は取材に対し「特殊加工されたとはいえ、基本的には遺体にあたる」と説明。自治体の許可なく遺体の保存を禁じた同法に抵触する可能性については「保存行為かどうかの法令解釈は難しく、最終的には司法判断になる」と指摘した。
主催者側は「正規の手続きに基づく、展示用のプラスチック解剖標本であり、遺体とは考えていない。学術的に配慮している」と説明。展示会場の京都市勧業館(みやこめっせ)を運営する京都産業振興センターも「標本は展示物と認識している。過去にも全国各地で開催された実績があり、特に問題はない」としている。
死体解剖保存法では、死体標本を保存できる場を大学医学部か医科大、特定の病院と限定し、それ以外の場所での保存は届け出を義務づけている。
この記事の中にあるように「過去に開催された実績」があるのに、主催者が「なんでいまさら問題にするのか?」と主張しているのである。この問題をどう扱ったらいいのか、オレも悩んでしまうのだ。
子どもがあの展示を見て、純粋に学術的な興味から人体に興味を持つようになって、基礎医学の研究者になっていくということがあるかも知れない。しかし、人体標本にだけ興味を持って、標本目的の殺人者になるなんてことが絶対にないとも言えない。その展示からどんなメッセージを受け取るかは千差万別なのだ。
ただ、あの標本にされた人体が、もしも自分の近親者だったらどうだろうかと考える。そこには死者への尊厳など欠片もなく、臓器の一部を輪切りにされたりして陳列されるのだ。もしも自分の家族がそんな標本にされたならば不愉快だろう。そして自分が死後このような標本にされることをオレは決して望まない。だってオレの肉体は貧弱だし・・・
人体標本にされた人たちは、どういう経緯でそうなったのだろうか。生前に同意がなされていたのか。あるいは家族が大金を受け取って遺体を提供したのか。もっと想像したくないことだが、標本にするために誘拐や殺害などということはなかったのか。もしもそうした犯罪の結果としてあの展示があるのならば、決してその開催は許されず、関係者は全員司直の手に委ねられなければならない。
自分が初めてあの展示を見たときは、その標本の由来など考えたこともなかった。しかし改めてどうやって作られたのかを考えたときに、その生産国があの人権軽視国家で、誘拐や殺人が日常の中国であることを考えたとき、オレはこの標本の背後にある何か恐ろしいものを感じたのである。
全く別の素材で見本としての人体標本を作るのならかまわないと思う。たとえば日本の高度な技術で作られた食品の見本のようなものである。ああいった形の見本の展示ならばなんら問題はない。しかし、遺体を原材料として作った標本(だからこそ標本であり、模型ではないのだが)が、どのような形で製作されたのかに関しては、少なくとも主催者側はきちっと明らかにする義務があるだろう。
必要なさまざまな年齢や体型の遺体を入手するためにどんな方法が用いられたのか。あるいは死刑囚の遺体を用いているのか。そうした経緯は今後明らかになるかも知れない。オレは最初にその展示を見たときに、そうした疑問をなぜ感じなかったのかと自身の鈍感さを恥ずかしく思うのである。
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