2010年10月24日(日) |
オレは橋下知事の私立高校無償化に反対する! |
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もしも良い商品と悪い商品が同じ値段で売られていれば、人々は必ず良い商品を買うだろう。商品に値段の差があるということは、悪い商品もそれなりに売れると同時に、よりよきモノを求める人には選択肢が与えられている状態なのである。良い商品と悪い商品の代わりに、高性能な商品と普通の商品でもいい。ポルシェやフェラーリが高価なのは性能が違うからである。
しかし、その価格差をお上が補助金で埋めるというのはどういうことなのか。たとえばヴィトンやエルメスを買うのに、年収610万円以下の方は政府が補助金を出しますと言えばみんな争って買うだろう。貧しい者はそんなブランド品を買わずにダイエーやジャスコで買えばいいのである。そのための価格差なのだ。その価格差の意味がわかっていないのが橋下知事である。
私立高無償化「年収610万円未満まで」 橋下知事表明
大阪府の橋下徹知事は21日、府在住で府内の私立高校に通う生徒の授業料の無償化を、来年度の新入生から年収610万円未満の世帯にまで拡大することを表明した。これにより、生徒の約半数で無償化が達成される。
年収610万〜800万円未満世帯も、保護者負担が年10万円程度で済むよう助成する方針。
府は今年度、府在住で府内の私立高校に通う生徒の2割にあたる年収350万円未満の世帯で、授業料の無償化を始めた。府内の私立高校の平均授業料である年55万円を助成の上限とし、授業料が55万円を超える62校は、超過分(1校あたり最大約3800万円)を自校で負担している。
授業料を高く設定している高校ほど学校の負担が重くなるため、この制度への参加を見送る可能性もある。来年度の助成額の上限は未定で、対象校が決まるのは12月の見込み。
なんのために親は私立高校に子を入れるのか。なんのために私立高校に進学することを選ぶのか。「本当は公立に行きたかったけど合格しなかったから・・・」という生徒もいるだろう。しかし、不合格になるのは勉強が足りなかったという自己責任であり、絶対に合格したかったなら自分の成績で合格可能性が高いところを受験すれば済むだけの話である。とうてい届かないレベルのところを受験して落ちた生徒が、「私学は高いから補助金を出してくれ」なんて主張はふざけてるとオレは思うのだ。勉強しなかったから結果として余計にお金がかかってしまうというのは世の中のお約束なのである。努力したものとそうでない者が平等なんてことの方が間違っている。
私立高校の多くは、公立高校とは違った独自の教育方針がある。たとえば服装一つにしてそうだ。ろくに服装指導しない公立高校の登校風景を見ると、ズボンを下げてケツを半分出したような馬鹿丸出しの男子や、少しでも風が吹いたらパンツが見える超ミニの女子が、かかとを踏んづけてスリッパみたいにした靴を引きずりながらだらしなく歩いているのである。こういうろくでもない連中を「無償化」してやること自体そもそも問題なんだが、きちっと服装指導している私学では、制服を正しく着た高校生たちがさわやかに威風堂々と道路の端を整列して行進しながら学校に向かうのである。登校風景を見れば一目でその違いがわかる。もしも学校選びに迷っている親御さんがあれば、登校時の風景を見に行くことをお勧めする。
学校というのを商品と考えた場合、生活指導がきちっと行われていて、その上ちゃんと勉強できる環境があり大学受験に有利な学校と、ろくに生活指導が行われず、生徒たちはほとんど勉強などせず、放課後は部活動もしないでバイトに直行する学校とを比べた場合、商品として前者の方が後者よりも優れていることは明らかだろう。前者の方が値段が高く、後者が無料で手に入るとしても買い手は納得するだろう。それだけの差が存在するからだ。私立高校の多くは前者に属し、公立高校の多くは後者に属する。もちろん例外は若干存在するが、ここでは想定しないこととする。
公立高校の中でもより前者に近いところもあれば、私立高校の中でもより後者に近いところもある。それはおおむね入学試験の偏差値に関係する。入学試験の偏差値の低い公立高校ほど、後者の状況がより過激になっていくのである。もはやそこは学びの場というよりは、その年代の若者をただ一定時間収容しているだけの箱という状況になってしまう。授業中といえども誰も教師の話なんか聞いていないし、携帯メールやゲーム機の操作に忙しいのである。公立高校無償化という愚かな政策は、そういうクソみたいな連中の授業料さえも公費で面倒を見るという納税者を舐めた行為である。
関西の私立高校の中には常にハイレベルの授業を提供し、京大や阪大への合格者を大量に出している高校もある。もちろん入学試験の偏差値も高い。私学だから授業料もそれなりに掛かる。公立高校と違って土曜日にも授業がある。偏差値65以上の生徒には、公立高校で学区内の最上位校に入学して難関校を目指すか、私立高校に入学して難関校への現役合格を目指すかという二つの選択肢がある。公立上位校に入るのに必要なのは学力であり、私立の上位校にはいるのに必要なのは学力+お金である。ただ、公立高校上位校の多くがこの20年間で過去の伝統をすっかり破壊され、有能な教師陣はやる気を失って私学や予備校に流れ、生徒たちはほとんどが塾や予備校に通って余計なゼニを使っているということを考えたとき、「お金」については差がないと言えるだろう。
多くの私立高校は公立高校よりもよりよい教育を提供している。だから授業料が余分に掛かるのだ・・・というのはオレは自明の理であると思っていた。そのことに対して何の疑いも感じていなかったのだ。優れた商品が普通の商品よりも高価格なのが当たり前なように。
しかし、橋下知事の今回の政策はその原則をぶちこわすものである。「私立高校に行きたい人は行って下さい。お金は大阪府が出しますから!」である。タダでいい教育が受けられるのだからいいじゃないかと単純に思ってはいけない。タダで手に入るということは、逆にその価値を失わせることなのだ。人はその品物を手に入れるのが困難だからこそ、高価だからこそ大切にするのである。モノの価値というのはその手に入れにくさと高価さによって守られているのだ。なぜ私立高校に通っている生徒は勉強に熱心なのか。それは親が高い授業料を負担していることを知っているからである。そのゼニを無駄にしないためには自分が必死で勉強して、現役で難関大学に入ることしかないとわかっているからである。年間で50万も60万も掛かる授業料を親が負担しているのに何も感じていない馬鹿は私立高校に入学すべきではない。
もちろんそうした親の負担がなくなることは親たちにとっては望ましいことかも知れない。しかし、制度導入によって親の負担がなくなるのは子の努力の結果とは無関係なのだ。今回、橋下知事が導入しようとしている私立高校の無償化の対象校はすべての私学ではない。学力水準の高い私学だけというわけでもない。入学試験の偏差値が低く、生徒たちがろくに勉強などしないで入ってくるごく少数の私立高校もその対象なのである。そういう学校に入学してくる生徒というのは基本的に親が多くのゼニを払ってるということの意味も理解していないだろう。Fランク大学と言われる私立大学で講義の時間中に私語が絶えず、学生たちが携帯ゲーム機にうち興じている現状を想像すればいい。その高校版である。
また、この制度は大阪府だけで実施される。大阪府の私立高校には他府県の生徒も多く通っている。近畿大学附属高校の生徒の3割は奈良県から通っている。ところが奈良県や兵庫県から通っている生徒にはこの補助金はないのである。ということは、生徒が支払う授業料に差が生まれてしまうのだ。大阪に住んでる生徒は無償なのに奈良県や兵庫県在住なら45万円掛かるなんてことになってしまうのである。それで住民票だけ叔父さんの家や祖父母の家に移してなんてことにすれば、あーら不思議無償化の対象となって授業料が実質タダになってしまうのである。そういう不正が頻発することは間違いない。同じ高校の中で生徒間の授業料格差が生まれてしまうことをどう保護者に説明するのか。ずるい親だけが得をするようなそんな不正を行わせていいのか。
よりよい教育を受けるために余分な自己負担が発生するのは当たり前だ。だから私立中学や高校の授業料は高いのである。そのことをどうして変える必要があるのか。それが受益者負担ということなのである。
橋下知事は大阪府の教育をどうしようとしているのか。公立学校の教員の給与をどんどんカットし、非常勤講師たちをワーキングプアに追い込んで意欲を奪い、教員採用試験の競争率も低下させて新任教員の質を低下させてしまった。悪くなる一方なのである。橋下知事のやろうとしていることは決して改革などではない。破壊あるのみなのだ。そうして破壊されたがれきの山の中で、生徒たちはこれからどこに向かっていけばいいのか。オレは激しい怒りを覚えるのである。
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