2010年02月09日(火) |
退院したら肉が食いたい |
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4、5日で脱出できると思った入院生活が思いのほか長引いてしまった。内視鏡で出血部分を止めて、それですぐに退院と思ったら甘かったのだ。一週間にわたる絶食生活、そして点滴チューブにつながれた不自由な状況が待っていたのだ。しかも血管が細いのですぐに液漏れして腫れて痛くなる。そのたびに針の位置を変えないと行けない。絶食生活が終わるのは再度内視鏡検査をして、出血が完全に止まってるのを確認してからだというのである。
そういうわけで、一週間の間はまわりの患者たちに運ばれてくる食事が恨めしかった。何も喰えない、何も飲めないという「絶飲食」の状況だったのだ。一日に500CC×4本入れられる点滴がオレの生命維持装置ということらしかった。こんなに水を入れてるとやたらオシッコが出る。一日に何度もオレは点滴をぶら下げながらトイレに向かったのである。
差し入れの本を読み、HPの更新をし、ひまつぶしにいろんな方の日記を読み、いろんなブログに出かけてはコメントを付け、そんなふうにして長い一日を過ごしていたのだ。仕事をしてるときはあんなに短かった時間が、病院のベッドの上ではかくも長いものかとオレは驚いたのである。無為に過ごしてる時間ほど長く感じるものはない。
点滴をぶら下げて自力でトイレに行って、7階からの景色がきれいなのでそれを眺めようともう一度撮影用に携帯電話を持って病室から出たら「まだ歩き回らないでください!」と看護師さんに叱られた。
差し入れの本の中に「サライ」という雑誌があった。なんと和菓子特集で、京都と江戸の伝統的な和菓子が紹介されていたのである。甘い物好きなオレにとってなんと目の毒だったことだろうか。ああ、退院したら京都でお菓子の食べ歩きがしたい。オレはつくづくそう思ったのだ。
一週間の絶食を経てやっと二度目の内視鏡検査を行い、そこで出血が完全に止まってることが確認された。翌日から喰えるようになったのである。もっとも内視鏡検査の2日前に「水分可」に制限が緩和されて、規定量以内のお茶だけは飲めていたのだが。
食事が始まった。オレは驚いた。「なんて少ないのだ!」そんな少ない食事なのに回りに入院している高齢者たちはほとんど残してるのである。ほとんど手つかずの残飯を「オレに喰わせろ!」と思ってしまったのである。もっとも他の患者の分を盗み食いするわけにもいかないが。お粥が出るのだがおかわりがない。ごはんが足りないからオカズが余る。いつもなら何杯もお代わりしてるのにお椀に半分ほどのお粥では足りるわけがない。食事が始まってもオレは飢えに苦しんだのだ。もちろん足りない分は点滴で補充されていたのだが。
オレのまわりで入院してるのは高齢者ばかりだった。夜中に突如大音響でテレビが鳴り響く。イヤホンが抜けてるのだが本人は全く気付いていないとか。紙おむつをつけてるのだがオシッコでぬれると気持ち悪いのでぬいでしまってシーツがびちゃびちゃになるとか、廊下で大声で意味不明のことを叫ぶ方とかいろいろだった。日々そういう方々の看護している病院のお仕事は本当に大変だと思ったのである。自分はそれに比べれば本当に手が掛からない優良患者だったはずだ。
退院して真っ先にやりたいことは何か。喰うことしかオレは考えられない。肉が食べたい。三田屋本店のステーキが食べたい。ビイヤントのカレーが食いたい。ねぎ焼きが喰いたい。イカ焼きが食べたい。函館市場で回転寿司が食べたい。あれこれ食べたいものばかりが思い浮かぶのである。そしてもう二度と入院などしたくない。オレは十二指腸潰瘍で入院するのがこれで3度目である。去年ピロリ菌をやっつけたからもう大丈夫だと思っていたがそれでも再発した。今度こそちゃんと治さないといけないと思ったのである。
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