2009年12月02日(水) |
スポーツ振興のためにもっとゼニを使え! |
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スポーツをやるためにはゼニが掛かる。しかし、ゼニを掛けた人がすべて一流になれるわけではない。子どものうちから我が子にゴルフをさせる親は多いが、誰もが石川遼になれるわけではない。その多くは下手くそなままでやめていく。膨大な金額をゴルフにつぎ込みながらもモノになるかどうかはわからないのだ。スポーツというのはそういうものである。しかしその贅沢さこそが資本主義社会には必要な浪費なのである。
超一流のプロ野球選手はみんな高給取りである。それだけに野球選手を目指す少年はとても多い。全国の中学や高校にはたいてい野球部が存在していて、膨大な数の部員が在籍している。彼らが消費する野球用具にかかる費用は膨大なものである。移動のための交通費や遠征費など、全国の野球少年たちが使う金額のトータルはものすごくでかい。これがどういうことかわかるだろうか?
日本はなぜかフィギュアスケートが盛んである。浅田真央ちゃんは文句なしにかわいい。しかし、誰もが真央ちゃんになれるわけではない。数え切れないほどの多くの少年少女がオリンピックを目指してレッスンに大金を使ってるわけなんだが、その中で頂点に立てるのは何万倍もの競争に勝ち抜いた者だけである。競争に参加させるにはカネがかかる。子どもにスポーツをさせるというのはかなり贅沢な経済活動なのである。そして、その経済活動の動機の一つとなるのが、オリンピックで日本選手が活躍することである。強い選手が多い競技ほど、その裾野を支える競技人口も多い。つまり、政府がゼニを出して選手を強化することは、その何十倍もの経済効果を生み出す投資活動のようなものである。だからこのゼニはかなり有効なゼニなのだ。そんなこともわかってない仕分け人たちにはあきれるのである。
スポーツ予算「縮減」に五輪メダリスト異議
政府の行政刷新会議(議長・鳩山首相)が、「事業仕分け」で、日本オリンピック委員会(JOC)の選手強化費などスポーツ予算を「縮減」と判定したことについて、五輪メダリストたちが1日、都内のホテルで記者会見し、判定に異議を唱えた。
会見したのは、アテネ、北京両五輪で連覇した女子レスリングの吉田沙保里(綜合警備保障)、北京五輪フェンシング、男子フルーレで銀メダルを獲得した太田雄貴(森永製菓)、ロサンゼルス五輪で銅、アテネ五輪で銀を取ったアーチェリーの山本博(日体大教)ら。
吉田は「私たちは胸に日の丸を付けて出場している。選手が安心して戦えるように、国がしっかり支援して欲しい」、山本は「マイナーな競技団体は、選手の自己負担で五輪の出場権を獲得しに行っている。20年以上も、妻に頭を下げて(遠征費の)振り込み用紙を渡してきたことを知ってもらいたい」と語り、判定結果が予算額決定に影響を与えないよう訴えた。
11月25日に行われた「事業仕分け」では、国の補助金について、スポーツ振興くじ(サッカーくじ、愛称・toto)からの助成金や、国と民間からの資金を原資としたスポーツ振興基金からの助成金と「使途が重複する」などの指摘がなされ、JOCの選手強化事業費など約27億円を含む約33億円の「民間スポーツ振興費等補助金」が「縮減」と判定されていた。(2009年12月1日21時36分 読売新聞)
「どうして世界で1番じゃないとダメなんですか?2番ならだめなんですか?」
と言った民主党の議員がいたそうだが、オリンピックでは1位と2位では大違いである。金メダルと銀メダルは違うのだ。「どうして1位じゃないとだめなんですか?」と訊かれれば「そうだ。金メダルをとらないとだめだ。」という答が当然のように返ってくるだろう。そしてマイナーな競技ほど金メダルを取りやすいのだ。もしも100m走のようにメジャーな競技に選手強化の費用を1000億円くらいぶちこんだら必ず金メダルがとれるだろうか?そんなわけがないだろう。
日本がオリンピックでメダルを稼ぐ方法として有効なのは、マイナーな競技に他の国ではとても出せないような金額の投資を行って環境を整備し、選手層を厚くすることである。もしもオリンピックで好成績が出れば、それに影響されて勝手に競技人口が増えるだろう。そうして結果的にレベルUPしていってメダルにつながるのである。だからこそスポーツ振興のためのゼニは必要なのである。
しかも財源としてサッカーくじのtotoがあるじゃないか。確かtotoは賞金が持ち越されることで射倖性が高まって今年は売り上げを伸ばしているはずである。何も縮減する必要などない。むしろもっとゼニを使うべきだ。最初に書いたようにそれは効果付きの投資だからである。数量的に計算できるものではないが、一人の金メダリストの登場は何万人もの新たな競技人口の増加につながるのだ。スポーツが盛んになること自体は無条件によきことである。また、マイナーなスポーツにまで人々の興味が分散することは、多くの人にチャンスを与えることになる。
ただそのゼニの使われ方に関しては精査が必要だ。単なるバラマキではいけないのだ。本当に選手強化のために使われるのか、それとも関係ないところに使われるかだ。スポーツ振興団体に天下ったジジイどもの役員手当なんかはなくすべきだ。スポーツ振興の名を借りて私腹を肥やすクソどもに回るゼニは全くいらない。本当に厳しい環境の中でがんばってる選手のためにこそそのゼニは使われるべきであり、ぬくぬくとしたところでふんぞり返っているジジイどものビジネスクラスの航空運賃や豪華な宿泊費に浪費されるべきものではない。スポーツ振興の美名にたかるクソどもや、文部科学省の天下りのクソどもは排除すべきである。縮減の結果、こういうくだらないゼニが聖域として残り、選手個人のために使われるゼニが縮減されるならオレは「あほか!」と怒りたいのである。
スポーツ振興もまた資本主義社会の中でひとつの役割を持つ。スポーツに参加することも観戦することもすべてが経済活動である。そういう意味では大きな投資効果のあるスポーツ予算を「縮減」すべきものと考えた仕分け人の方は、その投資効果について全く理解しておられなかったのだろうとオレは感じるのである。
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