2009年06月29日(月) |
映画『愛を読むひと』〜罪とは何か? |
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15歳の少年が年上の美女とのセックスを知ったら毎日そればかり考えてしまうだろう。その暴走する肉欲を「愛情」と勘違いするのも無理はない。その歪んだ愛情を正しい方向に導くための必要な儀式は何か。それはセックスの前に必ず本を朗読して恋人に聞かせることだった。映画『愛を読むひと』の原題は「 The Reader 」である。文庫本の邦題は「朗読者」となっている。舞台は1958年のドイツ、戦争が終わってからまだ13年しか経っていなかった。
ナチスが多くのユダヤ人を収容所に送り、そして虐殺したことをその隣人であったドイツ人は知らなかったわけではない。同じ時代に目の前で起きていたことを知っていながら多くのドイツ人は傍観者だったわけで、その意味では全国民が未必の故意を所有していたわけである。時効を停止して戦犯を追いつめ、処刑したのは一見するところ正義のように思われるが、それでは太平洋戦争で裁かれることになった多くのBC級戦犯たちにとって、その犯罪は自ら進んで選んだ行為だったのか、あるいは不可避だったのか。不可避だった行為は果たして罪なのか。オレはそんな思いにとらわれたのである。
オレは映画『タイタニック』で観たケイト・ウィンスレットの一糸まとわぬ裸体を覚えている。ディカプリオがソファに横たわる彼女をスケッチした場面だ。そのときから少し乳は垂れていたがそんなことはどうでもいい。この映画を観る前に、それがまた拝めるのかという気持ちが自分の中に少なからず存在したことをオレは否定しない。オレもまた一人の普通のオッサンであるからだ。しかし、そんなことはこの映画の主題には全く関係がない。
彼女にはある秘密があり、その秘密こそがすべての行為の理由を解き明かすカギとなる。映画の中の場面にはその秘密を暗示するさまざまな伏線がある。しかし、それが伏線だったことがわかるのは秘密が解き明かされてからである。あれもそうだったのか、これもそうだったのかと、後からわかるのである。
オレは1988年にポーランドを旅行した。アウシュビッツ(ポーランド語読みではオシビエンチム)の収容所跡にも行った。大量に積み上げられた靴、靴、靴・・・・その中には小さな子どもの靴もたくさんあった。ビルケナウの収容所跡には骨を砕いた後の白い砂が足元に広がっていた。想像を絶する数の人たちがそこで命を奪われたのだ。毎日大量の囚人が貨車で運び込まれ、そして効率的に虐殺(それは「処理」と呼ばれたのだが)されていったのだ。収容所の門にはARBEIT MACHT FREI(アルバイト・マハト・フライ=働いたら自由になれる)との文字が掲げられていたが、骨と皮になるまで働かされた後に待っていたものは死だった。映画の中で収容所のベッドが出てきたとき、オレは自分の記憶とそれを重ね合わせた。あんな狭い粗末なところに詰め込まれながら死を待った人々のことを思ってやりきれない気持ちになった。
ナチスの親衛隊中佐で、国家保安本部第IV局(ゲシュタポ)ユダヤ人課の課長であったアドルフ・アイヒマンは、ヨーロッパ各地からユダヤ人をポーランドの絶滅収容所へ列車輸送する最高責任者だった。2年間にアイヒマンは「500万人ものユダヤ人を列車で運んだ」という形でその任務を着実に遂行した。1961年に逃亡先のアルゼンチンで捕らえられイスラエルで裁判に掛けられた彼は、ユダヤ人迫害について「大変遺憾に思う」と述べたものの、自身の行為については「命令に従っただけ」だと主張したという。この公判時にアイヒマンは「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」という言葉を残したと伝えられる。
たとえ何百万の死の中に埋没してしまうような一つの死であっても、オレはその一つの命を踏みにじるその現実を肯定する気はないし、無辜の市民の暮らす街にミサイルを平気で撃ち込める連中の政治的主張に耳を傾けようとは思わない。おまえらは歴史からいったい何を学んだのかと抗議したいのである。
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